エッセイスト 小島慶子
エッセイスト 小島慶子
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昨年9月に発足した菅内閣では、20人の閣僚のうち女性は2人に留まった (c)朝日新聞社
昨年9月に発足した菅内閣では、20人の閣僚のうち女性は2人に留まった (c)朝日新聞社

 タレントでエッセイストの小島慶子さんが「AERA」で連載する「幸複のススメ!」をお届けします。多くの原稿を抱え、夫と息子たちが住むオーストラリアと、仕事のある日本とを往復する小島さん。日々の暮らしの中から生まれる思いを綴ります。

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 実力以上に評価することを「下駄(げた)を履かせる」と言います。あなたはどうでしょうか。若さや性別のおかげで下駄を履かされたことも、それらが通用せず脱がされたこともあるのでは。自分はずっと裸足で走って成功した!という人も、知らずに下駄を履かされたり、運よく高台に上げてもらっていたことに気づいていないだけかもしれません。

「下駄を履かせる」と混同されているのが「舞台に上げる」です。女性幹部や女性議員を3割、その先は5割にまで増やそうという動きが日本でもようやく少しずつ出てきました。意思決定の場のジェンダー平等実現を加速するために、女性に一定比率を割り当てるクオータ制の導入も議論されています。

 クオータ制と言うと必ず「下駄」の話になります。「能力のない人物を、女性というだけで起用するな」と。これが大きな勘違い。個人に下駄を履かせる話ではありません。これまで企業や社会の意思決定の舞台の上にほんの少ししか載せてもらえなかった女性を、男性と同じように載せましょうという話です。今、舞台の上はすでに男性でいっぱい。次にステージに上がる人たちも男性ばかりで、女性が自力で進もうにも進めず、後ろから押し上げてくれる人もいない。だからまずは女性も上がれるように道をつけ、後押ししようというのがクオータ制です。エラい人が群衆の中からお気に入りの誰かを選んで高下駄を履かせるのとは違います。

 クオータ制を「男性差別だ!」と曲解する男性や「甘えている」と批判する女性もいます。でも今や企業も国もジェンダー平等なくしては成長できません。全ての女性にとっての「舞台」の話。後に続く女性のためにも大切なこと。女性の積極登用やクオータ制の議論になったときに「下駄なんてずるい!?」と思ったら、思い出してほしいです。

小島慶子(こじま・けいこ)/エッセイスト。1972年生まれ。東京大学大学院情報学環客員研究員。近著に『幸せな結婚』(新潮社)。『仕事と子育てが大変すぎてリアルに泣いているママたちへ!』(日経BP社)が発売中

AERA 2021年2月8日号