通常、走馬灯は、人が死を目前にした瞬間に見るものだ。この禰豆子の「失われていた記憶」の邂逅は、「鬼としての禰豆子の死」をあらわしていると考えられる。つまり、「鬼としての禰豆子」はここで終わり、人間としての新しい生を獲得した瞬間をあらわしている。
物語の世界では、長い長い眠りは、「死」の隠喩として使われる。女性を長い眠りから目覚めさせるのは、たいていの場合、「王子さま」や「恋人」がその役割を果たす。しかし、『鬼滅の刃』では、妹を「死の眠り」から、最後に呼び起こしたのは、兄が呼ぶ「禰豆子」という声と、優しい笑顔だった。
しかし、竈門兄妹の試練は、まだ終わらなかった。鬼でなくなった禰豆子は、不死身の体を捨て、「か弱い人間の姿」になって、兄を救うために最終決戦の場に向かう。ラストシーンで、竈門兄弟はそれぞれの“立場”が入れ替わっても、互いのために自分の身をささげる。
絶望のふちにあっても、決して相手を見捨てない竈門兄妹のつむいだ「きょうだい」の力は、実現不可能と思える難題と、耐えがたい不幸を乗り越えるための原動力となった。
◎植朗子(うえ・あきこ)
1977年生まれ。現在、神戸大学国際文化学研究推進センター研究員。専門は伝承文学、神話学、比較民俗学。著書に『「ドイツ伝説集」のコスモロジー ―配列・エレメント・モティーフ―』、共著に『「神話」を近現代に問う』、『はじまりが見える世界の神話』がある。