老親の介護――。中高年には身近な悩みだが、実は20、30代から、親や祖父母の介護に明け暮れる毎日を過ごす若者もいる。

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「祖母を殺して、私も自殺しようと思ったこともありました」

 介護を振り返り、河村美樹さん(仮名)がつぶやいた。まだ30代前半。介護がスタートしたのは、20代後半のことだった。

 美樹さんが、隣の家に住む母方の祖母の異変に気がついたのは、2005年のころ。美樹さんは不況のあおりと、腎臓に持病があったため、就職をせず、90代の祖母の仕事の手伝いをする日々を送っていた。

 祖母は地主で、土地の管理をしていたため、来客も多い。しかし、そのころから人と会いたがらなくなり、美樹さんが対応することが多くなった。さっき話したことをすぐに忘れたり、自分が片付けた物の場所がわからなくなったり、頻繁に鍋を焦がしたりするようになるなど、認知症の症状が出始めた。06年には転倒することも多くなり、何かあると一日に数十回も誰かに電話をかけてしまう。祖母から目が離せなくなった。

 耳の聞こえない両親を持つ美樹さんにとって、祖母は、成長過程に欠かせない存在だった。保護者会や学校行事にも必ず参加し、旅行にも連れていってくれた。大好きな祖母の家に遊びに行くのは昔からの日課だったが、祖母の認知症が進むにつれ、それは義務感を伴うようになっていった。

 07年、美樹さんが腎臓病の検査のために1週間入院して戻ると、祖母は寝たきりになっていた。母は、なぜか介護することを嫌がり、最低限のことしか手伝ってくれない。美樹さんの妹は、あまり祖母とは仲良くなく、父はすでに他界していた。週に2回、ヘルパーが来てくれてはいたが、必然的に主に美樹さんが介護することになった。

「今考えると、本当に暗黒時代です」

週刊朝日 2013年4月19日号