1995年12月8日に起きた高速増殖原型炉「もんじゅ」のナトリウム漏れ事故で、旧動燃(動力炉・核燃料開発事業団=現・日本原子力研究開発機構)の社会的信用を大きく揺るがしたのは、むしろ、その後の「ビデオ隠し」問題だった。ジャーナリストの今西憲之氏と週刊朝日取材班が追及する。

 当初、動燃は事故翌日の午後4時に現場を撮影したビデオ(「16時ビデオ」)を公表したが、これが編集されたものと発覚。さらに、それ以前の午前2時に撮影したビデオ(「2時ビデオ」)の存在まで明らかになった。

 次々と明らかになる「隠蔽工作」に、事故を「事象」と言い換えてごまかそうとする体質——。福島第一原発事故の直後に、政府が「爆発的事象」と説明したことを思い出させる。当時、「ウソつき動燃」との批判が飛び交う中、総務次長の西村成生(しげお)氏は不本意にも内部調査チームの一員となることを余儀なくされた。妻のトシ子さんが振り返る。

「家で仕事の話をしない夫が、『とうとう、もんじゅの担当になってしまった』と、深刻な顔をしていました。調査は連日泊まりがけで、『家に帰れない』と電話で嘆いていた」

 西村氏ら調査チームは「ビデオ隠し」にかかわった職員らに事情聴取を行った。

 カバンの中には多くの記録が残されていたが、その内容は当時、公に報告されたものよりはるかに生々しく、原子力ムラの隠蔽体質を如実に表したものだった。動燃は、事故をいかに矮小化し、ごまかすかに躍起になっていたのである。

週刊朝日 2013年4月19日号