■母親の最期
2013年6月。母親は、肺がん治療のために通っていた病院から、「もう効果のある治療方法がない」と言われてしまう。
徳島さんの父親は、インターネットで「ハイパーサーミア」という治療を受けられる病院を見つけ、転院することに。
がんの治療法には、手術治療、抗癌剤を使う化学療法、放射線治療、免疫療法などがあるが、ハイパーサーミアは、がんの局所を加熱してガン細胞をやっつける温熱治療だ。
転院先の病院は、実家から通える距離ではなかったため、母親は入院し、定年していた父親は、月曜の朝から土曜の午後まで泊まり込んで看病をし始めた。徳島さんは、まだ息子が9歳だったため、日曜日の朝から夜まで母親に付き添うことに。
徳島さんには3歳下に妹がいるが、妹は2人の子どもがおり、上は4歳、下は1歳と小さかったため、見舞いには来られても、泊まり込みでの看病はできなかった。
転院してすぐの頃は、温熱治療の効果が現れ、母親は調子が良さそうだった。病院内のカフェでランチをしたり、お茶をしたりでき、8月には2日間だけ一時帰宅も許された。
しかし体調は徐々に悪化し、11月の母親の誕生日には、徳島さんが息子とともにケーキを買って病院を訪れるも、母親は食欲がない様子。
12月には上体を起こすのもつらそうで、トイレに行くにも、誰かに抱きかかえてもらわないと行けないほどまでに弱っていた。
その頃、平日泊まり込んで母親の世話をしている父親に、疲労が色濃く滲んできていた。徳島さんは夫に相談し、父親の代わりに平日も病院に泊まり込むことにする。
「母にとって最期になってしまった夜は、私が泊まり込み、母の隣で添い寝をしました。母は夜中に、『トイレに行きたい』と言って起きたので、抱きかかえて連れて行くと、ふと『母に抱きついたのは子どもの頃以来だな』という思いが湧き、胸にくるものがありました……」
翌朝、母親は肺に溜まった水を抜く処置を受けたが、その後徐々に容体が悪化。
主治医に促され、徳島さんが家族に連絡すると、父親、息子、夫、妹夫婦、妹の2人の子どもが駆けつけた。
母親は家族全員に見守られ、帰らぬ人となった。