瀬戸内寂聴(せとうち・じゃくちょう)/1922年、徳島市生まれ。73年、平泉・中尊寺で得度。著書多数。2006年文化勲章。17年度朝日賞。近著に『寂聴 残された日々』(朝日新聞出版)。
瀬戸内寂聴(せとうち・じゃくちょう)/1922年、徳島市生まれ。73年、平泉・中尊寺で得度。著書多数。2006年文化勲章。17年度朝日賞。近著に『寂聴 残された日々』(朝日新聞出版)。
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横尾忠則(よこお・ただのり)/1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。2011年度朝日賞。15年世界文化賞。20年東京都名誉都民顕彰。(写真=横尾忠則さん提供)
横尾忠則(よこお・ただのり)/1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。2011年度朝日賞。15年世界文化賞。20年東京都名誉都民顕彰。(写真=横尾忠則さん提供)

 半世紀ほど前に出会った98歳と84歳。人生の妙味を知る老親友の瀬戸内寂聴さんと横尾忠則さんが、往復書簡でとっておきのナイショ話を披露しあう。

【横尾忠則さんの写真はこちら】

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■横尾忠則「コロナ退陣 世界中の人が念じれば…」

 セトウチさん

 あるひとつの問題に1億総国民が共に恐れるというのは、僕の経験では第二次世界大戦以来です。コロナを戦争と例えた人もいたかと思うと、その考えを否定する人もいました。だけどコロナは目鼻も手足も内臓もないけれど、生物です。人間も生物です。するとこのパンデミックは世界中のあらゆる場所で、生物同士が戦っているということになりませんかね。生物同士の戦いということになると戦争じゃないですか。人間には武器があるけれどコロナは感染という透明の武器を持っています。姿、形があれば攻撃もできますが、彼等(かれら)は絶対安全な人間の身体を基地として、その基地をも直接攻撃しているのです。

 そしてその戦略は人間界の社会生活をも攻撃の対象として人間の存在そのものと社会の価値をも根底から崩壊させようとたくらんでいるのです。感染が拡大するのは、とりついた生命体が死ぬと、自分達(たち)も死滅するので、次の生命体に移ります。だからパンデミックが起こってしまったのです。人間がコロナを殺すためには人間を殺さなければならないという悪魔の思想をコロナは自らも命がけで、その思想を拡張しています。最終的にコロナを全滅させるためには人間同士が戦うことになるだろうという、想像を絶する思想を彼等は持っているのです。核より恐ろしい思想です。

 と言って人間は透明化しているコロナの存在を肯定するわけにはいきません。現在のところ、コロナに対する人間の武器はマスクや手洗いに消毒や、外出や会食をやめるという原始的な防御策しか持っていません。もし地上にたった一人の殺人鬼的透明人間がいるとします。するとこのたった一人の透明人間によって人類は滅亡しかねません。

 日々感染者と死者が増加している世界的情況をどう見ればいいんでしょう。あと三年で収束するという学者は何を根拠にそう発言しているのでしょう。根拠のない政治的フェイクに日常生活が脅かされていますが、まだ感染していない人が人口的には圧倒的に多いので、「まさか自分は」という気持(きもち)がなんとなく現在の日常です。感染者数に比較すると非感染者数は圧倒的多数なので、不安ではあるが、なんとなくまだ自分の順番じゃないと、ロシアンルーレットのスリルを味わっている、そんな人もいることはいます。

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