波乱の展開からの大逆転劇となった今年の箱根駅伝。そのレースを彩った4年生たちにとっては最後の箱根路であり、卒業後も競技を続ける者たちに期待したいのは、さらなる飛躍である。昔を振り返ると、瀬古利彦(早稲田大、1980年卒)、谷口浩美(日体大、1983年卒)が「箱根から世界へ」の代表格だったが、それ以降の“箱根のエース”たちの卒業後のランナー人生は、「成否」が大きく分かれる。
最も期待されながら苦しんだのが、渡辺康幸(早稲田大、1996年卒)だろう。市立船橋高時代から無敵を誇り、大学1年時から箱根の「花の2区」を任され、2年時の1区区間新に続き、3年時、4年時は2区で連続区間新の快走。特に3年時に演じた「9人抜き」、「マヤカとの名勝負」は伝説として語り継がれている。
しかし、卒業後はケガとの戦いだった。ヱスビー食品に入社し、1996年にはアトランタ五輪の1万メートル日本代表に選ばれながらも左アキレス腱を痛めて出場を回避。その後も度重なるアキレス腱痛に苦しんで学生時代のような輝きは見せられず、2002年に29歳で現役を引退した。フルマラソンは3度出走して「7位、5位、途中棄権」で自己ベストは2時間12分39秒。その成績は、“天才ランナー”と称されてきた男には似つかわしくないものとなった。
「山の神」として一斉を風靡した柏原竜二(東洋大、2012年卒)も、卒業後に故障に泣いた。箱根では山登りの5区を4年連続区間賞、3度の区間新記録更新というケタ違いの走りを見せ、大学4年間で3度の総合優勝を経験。“最強東洋”における紛れもない「神様」だった。しかし、富士通入社後は、普通の「人間」に……。ニューイヤー駅伝を3度走ったが、区間4位、7位、9位と平凡な成績で、唯一のフルマラソン出走となった2015年のシドニーマラソンも2時間20分45秒での7位というもの。アキレス腱や仙腸関節など相次ぐ故障に悩まされ、2017年に27歳で現役から退いた。