小泉武夫氏
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道産子のソウルフード、ジンギスカン。タレの味付けと合わせる野菜に店の個性が出る(Getty Images)

 発酵の摩訶不思議な世界に人生を捧げ、希代のグルマンとして世界中を旅してきた小泉武夫さん。定年後のステージに選んだのは、北海道石狩市だった。連載4回目は、読んでいるだけで胃袋を刺激するジンギスカンの名店が登場。常連になった小泉さん、久々に訪ねてみると……

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 私は、親船研究室から時々、石狩河口橋を車で渡って二キロ程先のところにある「清水ジンギスカン」という店に昼飯を食べに行くことがある。この店は、羊肉を焼いて食べさせるジンギスカン料理専門店であるが、札幌のすすきのや旭川のさんろく街あたりでよく見かける立派な店とはほど遠く、この店を目標に行った者でも、気付かずに通り過ぎてしまうほど目立たない店である。

 私が最初にこの店に興味を持ったのは周りの人たちが「ジンギスカンの王道とはあの店のことだべ」とか「完成されたジンギスカンていうのは、清水で味わうことでないかい」などという絶賛の声をしばしば耳にしたことだった。親船研究室から車で行けばたったの一〇分程しかかからぬところに、そのような名店があるのならばと、ある日の昼飯時に涎を流しながら行ったのであった。

 ガラス戸を開けて入ると直ぐ右側に冷蔵ショーケースがあって「ジンギスカン売り場」となっている。肉は冷凍ではなく、赤々とした光沢のある肉が美味しそうに入れられていた。何と一キログラム一六〇〇円也とある。足元を見ると、もう多くの客が無造作に脱いでいった革靴や運動ズック、路上スリッパ、サンダルなどが所狭しと散乱している。その履物脱ぎ場から一歩上に上ると、その先はかなり年季の経った畳が敷いてある部屋で、客がそこに座って食事をする卓袱台が何卓も配置してあった。

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