ソフトバンク時代の川崎宗則 (c)朝日新聞社
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 川崎宗則は野球選手とナイスガイの『二刀流』。

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 野球少年のような純粋な姿勢は、グラウンド内外で常に変わらない。関わった人すべてを虜にする、ムネリンの魅力とは……。

「裏表がなくてあのままの人。ユニフォームを着ている時は常に目を輝かせ、元気に声を出し続けている。調子が悪い時は周囲に気を使うのか、普段以上に声を張る。仲間の活躍に対しては、自分のことのように喜ぶ。グラウンド外でも大声で挨拶するし、時間の許す限り誰とでも話す。ファンの方が思っている通りの『良い人』です」(ソフトバンク担当記者)

 川崎のことが話題になっている。きっかけは同じくソフトバンクOBの松中信彦が、キャンプでロッテの臨時コーチに就任したからだ。

 現役時代の松中は唯我独尊タイプ。川崎とは対照的に、自分自身のペースを崩さないことで結果を残して来た。

「信彦とムネは正反対。俗に言う『ジャイアン型』で昔気質の信彦には、敵味方の両方がいたのは確か。だが打者としては超一流だったので、プロとして結果を出せばそれでも構わない。ムネは野球選手として自分を客観視できていたのだろう。常に全力、周囲を大事にすることで、プロでやって行けるというのを自覚していた。裏方さんへの気配りも素晴らしかった」(ソフトバンク関係者)

 松中は04年に3冠王を獲得し、03年からは3年連続で120打点をマークした球史に残る強打者。打撃技術の高さには、王貞治ソフトバンク会長をはじめ、誰もが一目置いていた。しかしグラウンド外では昔ながらの豪快さがあり、酒席でのエピソードも多い。またチームメイトとぶつかったことも多かったという。しかし在籍19年間(ダイエー時代含む)で7度のリーグ優勝、そして5度の日本一を経験するなど、チームの勝利に大きく貢献したことは間違いない。

 一方の川崎は決してエリート街道を歩んで来た選手ではない。99年ドラフト4位でダイエー(当時)に入団以来、二軍で鍛錬を重ね叩き上げで今の場所を掴み取った。身体能力の高さと野球センスは抜群だったが、レギュラーの座を掴んだのはプロ4年目の03年。「自分は下手くそ」という意識を常に持ち努力し、支えてくれる周囲への感謝を忘れなかった。

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どのチームでもムードメーカーに