そういうことの始まりが連載だったのでは、と尋ねた。「そうでしょうね。でも、僕の人生、ずっとそうじゃないですか」と返ってきた。映画だって、深読みされ過ぎる、でも自分で招いたことだし、そういう人生ですよ、たぶん、と。

 松本さんは自分のことを「サブカルチャーの人」だと言った。「そんな人がなぜずっとテレビでやってこれたんか、不思議なんです。それに対する後ろめたさみたいなものがあって」。本来自分は地上波に出て、稼ぐような人ではない。それが申し訳ないと思う部分もある。だから「そういうところに戻りたいという気持ちもあるんですよね」。

「そういうところ」とはどういうところかと尋ねたら、「やりたいことしかやらない(場所)」。それが答えだった。

 ややあって、「でも、本当に自分のやりたいこと、やってないんですよねー」と松本さん。映画はやりたいことだった、でも、当たるわけがない。松本人志監督となるから人は来るが、メジャーでない自分が撮るものだ、大抵の人は理解できない。しごく当然だ。

「だったら本当に低予算でひっそり撮りたいなと思う気持ちは、ちょっとあります。だけど、それも映画じゃなくて、スマホで撮れるんちゃうかなって思いますしね」

 65歳で芸能活動をやめたい。今回、松本さんはそう言った。現在57歳、あと8年。なぜ?

「今回の森喜朗さんを見たりすると、『IPPONグランプリ』のオレもこんな感じかなーって思うんですよね」。芸人が大喜利を競い、松本さんが解説をする番組をあげた。

 釈明会見で森さんが言った「老害」という言葉、ネットニュースで松本さんに使われたことがある。若くしてブレイクした人間の宿命だと、松本さんもわかっている。だから「57歳で還暦近いは早過ぎるやろって。例えるのもおかしいけど、政治家でいったらめっちゃ若手やしね」とも言うのだ。

 また文章を書いて連載するというのはどうですか。最後に尋ねた。

「ゼロではないですけどねー。いろんな(発信の)やり方があるからなー。過渡期ですよね。あと2年くらいしたら、いろんなことがはっきりしてくるんじゃないですかね」

 テレビも自分も。そういう答えだった。(矢部万紀子

週刊朝日  2021年3月5日号より抜粋

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矢部万紀子

矢部万紀子

矢部万紀子(やべまきこ)/1961年三重県生まれ/横浜育ち。コラムニスト。1983年朝日新聞社に入社、宇都宮支局、学芸部を経て「AERA」、経済部、「週刊朝日」に所属。週刊朝日で担当した松本人志著『遺書』『松本』がミリオンセラーに。「AERA」編集長代理、書籍編集部長をつとめ、2011年退社。同年シニア女性誌「いきいき(現「ハルメク」)」編集長に。2017年に(株)ハルメクを退社、フリーに。著書に『朝ドラには働く女子の本音が詰まってる』『美智子さまという奇跡』『雅子さまの笑顔』。

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