「3・11」が日本人にとって特別な意味を持つようになってから、まもなく10年が経過しようとしている。現在発売中の週刊朝日MOOK『医者と医学部がわかる2021』では、医療活動に従事した医師に取材した。これからの医師に必要なものとは……医師たちのの10 年を追った。
■先進国だからこそ大きくなった被災者の心理的ショック
日本大震災発生後、国境なき医師団が仙台へ到着したのは、翌3月12日のこと。そのメンバーには当時会長を務めていた黒崎伸子医師の姿があった。
「テレビには津波の映像も映し出されていました。まずは、地震、そして津波の被害状況と支援のニーズはどのようなものなのか、数人で調査に入りました」
都心部をはじめ、津波の被害を受けていない地域では、医療機関が動いており、DMAT(災害派遣医療チーム)も東続々と到着していた。
「現地で情報収集を続けていると南三陸町が孤立していることを耳にしました」
13日にはヘリコプターをチャーターし、南三陸町へと入った。
「津波の被害が大きかったこともあり、いわゆる医療行為よりも、被災された方の心理的ケアや、避難所での衛生管理などが重要になると感じました」
その後も調査を続け、南三陸町と岩手県宮古市などで支援活動を行うことを決めた。これまで国境なき医師団が活動してきたのは、発展途上国がほとんどであり、先進国での活動は初めての取り組みとなったが、そこには先進国ならではの問題もあった。
「規制が多く、活動の許可申請や物資の移送など、クリアしなければならないことが多々ありました」
さらに被災者の心理的ショックは先進国だからこそ大きくなる傾向もあった。
「我々が普段活動している紛争地などは、住民が命にまつわる覚悟をしながら日々を過ごしています。ですが、日本を含む先進国では、目の前で命が失われたり、急に家族に会えなくなるような事態を想定して暮らしてはいないでしょう」
支援に訪れた医師のなかにも「同じ日本人なのに、何もできない、助けられなかった」とショックを受けるケースがあり、支援後のスタッフのケアにも注力した。