杏寿郎は杏寿郎で、母の教えを守り、「柱」としての責務を果たすことが、やがて父を「元の姿」へ戻すきっかけになるのではないかと考えていた。また、彼が「立派な炎柱」であろうとするのは、弟・千寿郎の心を守るためでもあった。杏寿郎は駆け足で大人になり、急いで「柱」になる必要があった。生き急ぐような形で、熾烈な戦闘の中、杏寿郎はその命を落とす。最期まで、父の真意は確信できぬままに……。
槇寿郎と杏寿郎の会話はいつも一方通行で、互いの気持ちを確認しあうことができなかった。それゆえ、槇寿郎は、息子・杏寿郎が、自分を恨んでいると思い込むようになる。杏寿郎の最期の言葉を伝えにきた炭治郎を拒絶し、「どうせ俺への恨みごとだろう わかりきってる!!」と言い、千寿郎に「杏寿郎の言葉を伝えるな」と怒鳴る。しかし、杏寿郎は、ただの一度も、父親の悪口を言わなかった。杏寿郎がずっと父を大切に思い続けていたことは、杏寿郎の「遺言」でやっと伝わる。
杏寿郎の死後、槇寿郎は最終決戦に名を連ねる。「私も杏寿郎同様 煉獄家の名に恥じぬよう 命を賭してお守りする」と、かつての炎柱としての姿を取り戻す。杏寿郎を失い、千寿郎が剣士を辞めた今、彼は自分をおとしめる必要などなくなったのだから。
煉獄杏寿郎の「柱」としての人生は、過酷で寂しいものだった。しかし、彼の信念は父を「元の姿」へ導き、遺された弟の心を守り切った。そして母の言葉を胸に刻みながら、仲間を守り切り、誰も死なせなかった。杏寿郎が守ってきたものは、あまりにも大きく、尊い。
◎植朗子(うえ・あきこ)
1977年生まれ。現在、神戸大学国際文化学研究推進センター研究員。専門は伝承文学、神話学、比較民俗学。著書に『「ドイツ伝説集」のコスモロジー ―配列・エレメント・モティーフ―』、共著に『「神話」を近現代に問う』、『はじまりが見える世界の神話』がある。