<どうせ大したものにはなれないんだ お前も俺も>(煉獄槇寿郎/7巻・第55話「無限夢列車」)
<杏寿郎もそうだ 大した才能は無かった 死ぬに決まっているだろう>(煉獄槇寿郎/8巻・第68話「使い手」)
この槇寿郎の言葉をよく見返してみると、これが、単に息子をおとしめるための発言ではないことがわかる。ここでいう「俺とお前」は、「槇寿郎と杏寿郎」をさし、千寿郎も巻き込んで、「煉獄家」には、そして「炎柱」には、それほど価値はないのだと説いている。「鬼殺の名門・煉獄家」自体の存在意義を揺るがすことによって、息子たちを「煉獄家の縛り」=鬼との戦闘から解放しようとしたと考えられる。
■父母の「思い」と杏寿郎の生き方
愛する妻を失ったことをきっかけに、煉獄槇寿郎がおのれの誇りを捨て、家名の誉れを捨て、生き方そのものを変えようとする一方で、息子・杏寿郎は、漠然とではあるが、父の真意に気づきかけていた。杏寿郎は、父親が「冷たくなった理由」は、自分たち兄弟を「死なせたくないから」なのではないかと思い至るようになる。しかし、父は、その本心を、結局、杏寿郎が死ぬまで、誰にも伝えることはなかった。槇寿郎の苦悩とは裏腹に、杏寿郎は、限界まで父親の背中を追い続けた。その意思を支えたのは、母の言葉だった。
瑠火は、夫・槇寿郎が「か弱き人々」のために、その身をささげていることを「誰よりも立派である」と思っていた。だからこそ、息子たちにも、夫のように立派な剣士になるよう教え諭してきた。
「弱き人を助けることは 強く生まれた者の責務です」
瑠火が息子たちにこんな言葉をのこしたのは、夫への愛ゆえに、であった。瑠火が杏寿郎にこの言葉を告げたのは、杏寿郎が10代前半のころ。回想シーンで、杏寿郎はまだ隊服を着ておらず、当然、鬼殺隊入隊前のことである。
一方で、父・槇寿郎は炎柱としての任務に邁進している時期だ。この当時の煉獄家の人物で、最前線で戦っていたのは槇寿郎その人である。瑠火が「炎柱」の矜持と辛苦を知ることができたのは、夫の姿を通してのことだった。瑠火が「聡明な母」でありえたのは、やはり槇寿郎の信念が尊いものであったからだろう。