若い人たちにもっと声を上げていただきたいし、年金生活者も、もう少し立ち上がってもいいと思うんですよね。社会を変えることは大変ですが、私は「まだ、やってるよ」と言われる一人でいいのです。
昨年、国葬反対のデモの帰りに転んでしまって。医師に「なんて強い骨なんだ!」と褒められるほど、何でもなかったって喜んでいたのですが、寒くなると痛むようになって。老いは日々感じます。
でも、「だから、デモには行かない」というのはできないな。
ただ、ちょっとだけ「体も労わりなさい」って、自分の体から教えてもらう。体からの教えは贈り物と思っています。
最期まで生きていくために必要なことのひとつは、悔しいけど経済力ですよね。でも、大好きだったお年寄り(私も年寄りですが)が言っていました。「棺おけに持っていけるのは、菊の花だけだよ」。最後にプラマイゼロになればいい、と私は考えています。
そのために、みんなが、あるいは、みんなで、分かち合えるかどうか。分かち合うことは奪われることではない。分かち合うことがスムーズに機能しない社会では、すぐに自己責任という言葉が登場し、問われます。
昨年12月、クレヨンハウスの東京店は表参道から吉祥寺に移転しました。47年目を迎えたクレヨンハウスは、子どもも大人も自分であることに疲れた人の居場所になったらいいなって、空間作りをしてきました。次は小さな教室もやりたい。農福連携のような活動、さまざまな古今東西の本を読む、シュタイナーの教育や絵を描く、何でもいい。
血縁だけではなく、結び縁を大切にしたい。どうして、日本は養子が少ないのか。結び縁の家族があってもいいですよね。そんな結び縁を続けていくことが、この映画に対する答えでもあるのかなと思います。
(医療ジャーナリスト/介護福祉士・福原麻希)
※週刊朝日 2023年2月10日号