今年の春は、見事に改装出来た天台寺へ、ぜひ来いといわれているので、迷っています。とてもこの老衰体では、天台寺までの旅は無理と思う一方で、今年行かないと、もう死ぬまで行かれまいという想いも強く、心が乱れます。
墓の字も書いておかなければ、墓石屋が待ちかねています。井上光晴さん御夫妻のお墓は、すでに天台寺に造られています。井上さんの雄渾(ゆうこん)な字で、井上さんの詩が書かれた墓石です。遠い所なのに、御家族は言うまでもなく、井上さんの小説のファンたちのお詣りもあります。
甥(おい)の敬治の三回忌がこの間過ぎましたが、徳島の墓の外に、天台寺にも敬治の墓をたててやりたいと思います。
りんどうを踏まねばゆけぬ天台寺
という敬舟(俳号)の句を刻んでやろうと思います。
彼を見送ったのが、ついこの間のような気がするのに、もう三回忌とは!
別に朝も晩も自分の死や墓や、遺言のことばかり考えているわけではないのですが、考えておかねばならない事情も出て来て、そういうことも少しずつ片づけています。
ヨコオさん、改めて考えてみればあなたは私より十四歳も若いので、余生の時間はたっぷりありますね。
それまでにどんな大きな絵を描き残されることでしょう。
大きな絵を描く体力と、情熱は、長篇を書く小説の労力と比べたら、はるかに力が必要でしょう。その体力と、情熱を想像しただけでも体がきしみます。
私も一つ長篇を書き遺(のこ)したいと想い、題も内容も決めてあるのですけれど、この体力では、果(はた)して書けるかどうか怪しくなりました。
それを書くには、遠い旅も必要なので、さあ、出来るかどうか。
でも、今日のような静かな雨の日などに、一行も出来ていない未来の小説のことなど考えるのは心が落ち着くものです。出来れば俳句の本ももう一冊遺したいものです。
わあ、これではとてもまだ死ねませんね。まあ、想うことにはお金がかかりませんから、せいぜい、見る夢の数を増やしましょう。
そうだ! 油絵もせめて三枚くらいは遺さないとね。ああ、忙し。なかなか死ねないぞ!
春風邪にかからないように! おやすみ
※週刊朝日 2021年3月19日号