混乱を極めるミャンマーの情勢。多数の死者や拘束者が出ているのにもかかわらず、国際社会は手をこまぬいている。ジャーナリストの田原総一朗氏も憂慮する。
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軍事クーデターから1カ月余り。ミャンマーで治安部隊による国民への弾圧がどんどん強まっている。
これまでに死者は50人を超え、けが人も多数、短機関銃が使用されたとの報道もある。
クーデター後、裁判所の令状なしでの逮捕が可能になっており、デモ隊ら千数百人が身柄を拘束され、連行された。どのように処遇されているかは不明である。
クーデターが起きたのは2021年2月1日未明で、アウンサンスーチー国家顧問やウィンミン大統領をはじめとする政府閣僚、地方政府幹部、スーチー氏率いる国民民主連盟(NLD)幹部、さらに政治活動家、作家など100人以上が拘束された。その数時間後、非常事態宣言が発令され、すべての国家の権限がミンアウンフライン国軍最高司令官に委譲された。
この日は、20年11月の総選挙で選出された議員たちが招集される連邦議会の開会日で、無事に開会していれば、上下両院の議長が選出され、議員による投票で大統領が選出されるプロセスが始まるはずだった。昨年の総選挙では、争われた上下両院の改選議席のうち、396議席(83・2%)をNLDが獲得し圧勝していた。つまりこの日、スーチー氏の実質2期目の政権が始まるはずであった。
スーチー氏は若いころ、英国に留学し、日本でも京都大学に留学していた。そして、京都大法学部教授だった故・高坂正堯氏のまな弟子であった。私は高坂氏から何度かスーチー氏の話を聞いたが、しっかりしていて魅力的な人物だと高く評価していた。
帰国後、民主化を強く訴え続けて、軍事政権によって自宅で軟禁されながら、1991年にノーベル平和賞を受賞している。そして、2010年の総選挙で国軍系の連邦団結発展党(USDP)が勝利して、スーチー氏は自宅軟禁から解放された。さらに、15年の総選挙でNLDが大勝すると、スーチー氏は英国人と結婚していたために憲法上大統領にはなれなかったが、国家顧問兼外相となった。