作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回は、官邸前でハンガーストライキを決行した一人の女性について。北原さんは先日、友人らに誘われて激励に行ったという。
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沖縄では、戦争で亡くなった人々の遺骨が今も見つかるという。県民の4人に1人が亡くなった沖縄戦、76年後の今年2月末から3月初めにかけても糸満市で8柱の遺骨が収集された。そのうちの2柱は幼い子どもとみられる。
辺野古新基地建設の埋め立てに、多くの遺骨が埋もれている南部地域の土が使われることに抗議し、沖縄戦遺骨収集ボランティアの具志堅隆松さんが3月1日から6日間のハンストを決行した。驚いたのは、具志堅さんがハンストを終えてすぐ、東京に暮らすウチナーンチュ(沖縄人)の女性が具志堅さんに連帯しハンストをはじめたことだ。それもたった一人、永田町の首相官邸前でだ。金武(きん)美加代さん、1973年生まれ、宜野湾市出身、祖父母は沖縄戦のサバイバーだ。
「激励しに行こう」と友だちに誘われ、私が女友だち数人と首相官邸前に行ったのは3月21日、嵐の日だった。ハンストは14日目に入っていた。ゴアテックスに身を包み、沖縄の塩をなめ、水を口にふくみ、時にたばこを吸う一日、一日、一日の積みかさね。文字通り雨の日も風の日も、強く照る日も、夜は8時には寝袋の中に潜り、朝は6時ごろに目を覚ます。トイレは近くの国会記者会館を借り、支援者が携帯の充電や下着の替えなどのサポートをし、賛同者の医師が定期的に診にくる。ハンストの過酷さは想像を絶するが、良い仲間に囲まれているからか、金武さんに悲壮感はなく、声に強い張りがあった。むしろ私のほうが無意味に悲壮感をまとっていたかもしれない。ハンストという命がけの行為に出た人にどう向き合えばいいのか構えていたのだと思う。結果的にそれは無駄な心配だった。私たちには話すことが、たくさんあったのだ。
ハンストの初日の夜が明けて目がさめると、金武さんの目に真っ先に飛び込んできたのは、頭上にある「総理官邸前」というものものしい標識だったという。「涙出た」と金武さんは笑いながら話してくれた。