私の法話を聴きに来る人々の中に、彼女を見出し、寂庵へ来ないかと誘って、もう三十年になります。
子どもがないことも、別に気にしている様子もなく、大島の反物を売りさばいていた夫が、今はそれを辞めて、釣りばかりしているのも別に気にしている様子もありません。
「先のことを心配したって、人生、なるようにしかならないでしょう。二人生きていれば、何とか暮らせます。一人になったら、その時は運命に任せます」
私はそんな彼女が朝ごとに、庭から、
「○○の花が咲きましたよ!」
「ほら、うぐいすが二羽来て鳴いています」
と、教えてくれる声を聞くのが大好きです。
すっかり全身が弱ってきて、庭にも出られなくなった私も、今日は病院へ行く日だというので、いやいや外出しました。寂庵の外に出ると、どの家の庭にも、桜が満開で、人出も多くなって、コロナが去ったかと思われるようですが、人々はみんな大きなマスクをかけているので、表情も見えません。
病院も何となくがらんとして、わびしい感じです。いつもの検診で、まだまだ生きそうだと医者に宣言され、嬉しくもない自分にうんざりしています。
ヨコオさん、たしかに生きるために、目的など必要ないですね。逢いたいナと想う人はみんな、あちらの世界に去ってしまいました。
私は、夜、ぐっすり眠って、夢もあんまり見ないので、ヨコオさんのように、亡くなった人のユーレイに出逢うこともほとんどありません。何時、死ぬのか、どういう死に方をするのか、近頃はさっぱり考えなくなりました。
今、百歳のようですが、どうやら、百三歳くらいまで、このまま生きているような気がしてきました。
今、一久さんから、おいしいおはぎをたくさん持ってきてくれました。寂庵のスタッフたちの第一声
「ああ、ヨコオさんに食べてほしい」
みんな、やさしい人たちです。どうかお元気でいてください。
※週刊朝日 2021年4月16日号