ママは権力には屈しないという信条を持っていた。「いつでも降板する権利は持っていたい」という理由で、長いドラマをやっても契約固定給はもらわず1本あたりの脚本対価だけでした。
気に入らないことがあると、テレビ局の社長から頼まれても「あなたに義理はないから書かない」と直接ハッキリ言っていた。
ママに誘われて10年ほど前に熱海に移住して、何度も世界各国を海外クルーズで旅をしました。北極にも一緒に行ったしベトナムやジャマイカも。ママはいつも芝居がかっていて、
「一緒に行かないと、私はすぐ死ぬかもしれない」と言うんです。仕事を何カ月も空けて同行しましたが、忙しい時は私が「ギャラくれたらね」と言うと「じゃあいいわ」。あの人、花火も好きでよく一緒に行った。考えたらどこに行くのもいつも一緒でした。
人が好きで寂しがり屋だったのかもしれません。毎日電話しないと寂しいのか、嫌みを言う時期もありました。
ママからの「遺言」もありました。
「私が死んだらお世話になったお手伝いさんたちを連れて一緒に今治の(両親の)墓に行って。エンディングノートも書いた。お金も用意してあるから」
と何回も言われていたのです。8日夜にママが好きだったサロンバスで熱海を出てみんなで今治まで10時間半かけて行きました。これはママの願いだと思って大騒ぎしながら9日午前に納骨してきました。
とてもいい天気だった。こうやってにぎやかに納骨するのもママの希望だったと思います。今治のご両親の墓はママが数年前に橋田家の墓として立派なものに建てかえていたんです。
恩人のママを最後まで看取って納骨を済ませて役目を果たしたという感じですね。まだエンディングノートは見つかっていません。
(構成/山本朋史)
※週刊朝日 2021年4月23日号