福島理さん(撮影/小池哲夫)
福島理さん(撮影/小池哲夫)
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 営業担当者のいないインターネット証券が誕生して約20年。今では個人の株取引の主流を占める。この間、スマホなどの情報機器が高度化し、さらに「少額取引では売買手数料ゼロ」が当たり前になってきた。発売中の「AERA Money 2021春号」では、印刷機器メーカーから創業まもない頃のネット証券に転職した福島理さんに、金融機関の過去、現在、未来について取材している。

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 1998年に株式の売買手数料が自由化され、固定だった料率——100万円の取引なら1.15%=1万1500円――を10分の1に引き下げるオンライン証券がいくつも生まれた。

 そう、当時はネット証券ではなくオンライン証券と呼ばれていたのだが、そのうちの1社、オリックス証券に転職した福島さん。以来、証券会社の「中の人」として株式市場を見続けてきた。

 オリックス証券は、増えすぎたネット証券が淘汰されつつあった2010年、マネックスグループにより完全子会社化され、マネックス証券となった。

 福島さんの前職は印刷機械メーカー。当時の先輩社員に勧められて株取引をはじめた。ITバブル崩壊直前の2000年、20代半ばのことだった。

「初めて買ったのは日立製作所で、130万円分。相場全体が下り坂で40万円負けました。ソニーや三菱重工業など、手を出した銘柄の数は100を超えますが、600万円あった元手が300万円に激減しました。さすがに焦りましたね」
 
 昼休みになると職場近くの大手証券の支店へ直行。営業カウンターの職員と話したり、リポートを読みあさったりして、勝ちパターンを見つける努力をしていたという。

「20代そこそこで証券会社に日参する会社員って、結構珍しかったと思いますよ」と笑う。

「ファンダメンタルズと呼ばれる、企業の業績や国際情勢、景気と株価の関係に加え、テクニカル分析も勉強するようになりました。そうしたら、勝つ確率が上がっていったんです。

 2003年に日経平均株価が7000円台まで落ち込みましたが、その後にトレンドが上向いた局面で利益を出せました。株価チャートが読めるようになると強いな、と思いましたね」

 株式の魅力に目覚めた福島さんは証券会社に転職した。

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ネット証券が現物取引だけでは難しい