「いじめを機に『どこへ行っても私は否定される』『いつ人に裏切られるかわからない』という不安や人間不信が植え付けられたと思いますね。だから、生きづらくなって、リストカットや家出をくり返して、親との関係も悪化して、さらに人間不信になってしまった」(2007年『不登校新聞』)

 雨宮さんは、冬の北海道で何度も家出をしていますが「死んでもいいと思っていた」と語っています。

■くりかえした謝罪の意味

 家庭内でも異変は明らかだったようです。文春オンラインによれば、4月にはいじめについて母親に相談。母親は学校へ相談していますが、この時を含めて保護者は計4回、学校へ相談しています。また、5月には母親に「死にたい」と漏らし、同級生からの呼び出しには、ひどく怯えるようすもありました。そして6月には「ごめなさい」「殺してください」という独り言が自室から聞こえるようになり、「外が怖い」と外出もできなくなっていったそうです。

 女子生徒は、わずか3か月で決定的に追い詰められました。

 私が印象的だったのは「ごめんなさい」という謝罪のようなひとり言です。いじめなどを受け、どこにも解決先が見つけられないとき、人は強烈な自己否定感に苛まれます。そして、自己否定感から逃れた一心で謝罪を始めます。この謝罪はSOSの一つなのです。

 いじめによって不登校をしていた15歳の女性から、小学校6年生のときに、部屋でひとり、謝罪したときの心境を聞いたことがあります。

 「小学6年の秋まで、いじめられながらもなんとか学校に行っていたのですが、ある日から、いじめが激しく、先生からも怒鳴られて、本当に嫌なことばかりが重なり、自分のなかの何かがぷつんと切れてしまい『もう死のう』と思いました。家に帰ってきて、2階で泣きながら、この世のすべてのものに謝りました。『もう死にます、ごめんなさい』と。学校にも家にも居場所がなく、どこにも逃げ場がありませんでした」 

 彼女はいじめについて家族の誰にも言えなかったそうです。そして親に対しては「学校へ行きたくないと言っても無理に連れていく人だったから話してもわかってくれない」と思っていたそうです。いじめだけでなく学校や親への不信感なども重なって追い詰められてしまったのです。

 旭川の女子生徒も雨宮さんや彼女のような心境だったのかもしれません。

■いじめはなかったという学校

 女子生徒が通っていた中学校は、これまで女子生徒に対するいじめがあったとは確認できない、と旭川市に報告していました。現在は市長が「報道とわれわれの認識とかなり相違がある」として、第三者委員会による調査が決定しています。
 

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