心理学者である小倉千加子氏が、不妊にまつわるストレスについて、こう分析する。

*  *  *

 先日、「女性手帳」を若い女性に配布する案が撤回された。これが「少子化対策」の一環であると見抜いた人たちが「産む・産まないに国が介入すべきではない」「不妊の半分は男性不妊である」と指摘したからである。

 そもそも「不妊」とは、「避妊をしていないのに、2年以上にわたって妊娠に至れない状態」のことをいう。以前は「通常の夫婦生活を営みながら2年経っても妊娠しない状態」というものだったから、少し変化したことになる。それに世界的には、「妊娠しない期間」は2年ではなく1年とされているから、「不妊」の定義はなお曖昧なのである。

 日本では夫婦に子どもができないと(2年経たなくても)、まず妻に病院に行くよう圧力がかかる。妻の多くが周囲に言われるまで病院に行くことをしないのには理由がある。妊娠できないと確定してしまうことへの恐怖と、プライドの問題である。

 不妊は「状態」であって、「病気」ではないとは思っても、「治療を受けないと妊娠できない」とはっきり言われるのである。「治療」とは、「不妊症の治療」ではなく「人工的に妊娠させる生殖医療」である。

 プライドの問題には「いつか子どもを産んで母親になる」というアイデンティティが崩壊する問題がある。疑ったことのなかった人生の目標にも医療の助けがなければ到達することができない。「当たり前」の世界が崩れていく。

 実際、「不妊症です」という診断を受けて、「どうやって家まで帰ったのか覚えていない」と語った人もいる。「男性不妊」の場合も同じである。が、「妊娠できない」ことと「妊娠させられない」ことは、どちらのプライドをより多く傷つけるだろうか。家制度と血統主義から言えば「男性不妊」の方がより深刻で、そのために周囲はまず妻の側に受診するよう圧力をかけるのかもしれない。

 不妊の原因には「機能性不妊」、つまり原因が分からないことが多いけれども、現在では精神的ストレスが大きな影響を与えていることが知られている。

「不妊」の原因に精神的ストレスが元から存在する上に、「不妊」という診断が新たなストレスになるのだから、家まで自力で帰ることはできたとしても、不妊治療を受けるべきか否かを自己決定するまでの道のりは容易ではない。リスクはどうなのか妊娠率はどれぐらいなのか仕事と両立できるのか費用はいくらかかるのか、すべてを判断して踏み出さなくてはならない。

 しかし、いざ「不妊治療」を始めると、多くの人にとってこれが重大な身体的・精神的ストレスになるのである。まず生活が激変する。しかも生活の変化を自分ではどうにもできない「無力感」が生まれる。希望と絶望が交互にやってくる。続けないと妊娠できない「出口のないトンネル」である。

 夫婦間の性は妊娠の判定を受けるので、「達成」のためにあって、「コミュニケーション」のためではなくなる。医師が「僕が妊娠させてあげます」と言ったりすると、夫の子どもではなく先生の子どもを作るような気になることもある。

 ある病院が新築移転するまでの半年間「休診」になったら、治療を休めることに安堵感と解放感を感じて、その期間、患者の妊娠率がきわめて良好だったという実話がある。「2人だけの生活でいい」と、夫婦で「不妊」を受容してペットを飼い始めたら自然妊娠したという例もある。リラックスするか受容するかである。

 不妊治療は高額だが、それが歯止めになって通院を4年でやめることができたと言う人もいる。

週刊朝日 2013年6月14日号