481社の創業にたずさわったという渋沢栄一(渋沢栄一記念館提供)
481社の創業にたずさわったという渋沢栄一(渋沢栄一記念館提供)
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渋沢健氏(提供)
渋沢健氏(提供)

 NHK大河ドラマ『青天を衝け』の主人公で「日本資本主義の父」と称される渋沢栄一。渋沢家五代目の渋沢健氏が衝撃を受けたご先祖様の言葉、代々伝わる家訓を綴ります。

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 今から15年ぐらい前に、渋沢栄一の講演集である書籍『論語と算盤』を一緒に勉強していたファンド・マネジャーの友人から指摘されました。

「栄一さんと同じようなことをしようとしているんだね」と。

 そんな身の程しらずなことをしている訳ではないと答えました。ただ、確かに栄一は「一滴一滴の滴が集まれば、大河になる」という表現を用いました。

 日本初の銀行である第一国立銀行(現みずほ銀行の前身)を明治6年(1873)に創立したときに、その「銀行」という当時ではスタートアップの存在意義を『第一国立銀行株主募集布告』で日本社会にこのように示しました。

「銀行は大きな河のようなものだ。銀行に集まってこない金は、溝に溜まっている水やポタポタ垂れている滴と変わりない。折角人を利し国を富ませる能力があっても、その効果はあらわれない。」

 「一滴一滴の滴」は微力です。一滴だけでは何もできません。しかし、それが寄り集まって大河になれる。そして、大河になれば原動力がある。まさに、渋沢栄一が描いた大河ドラマです。

 私は当時、仲間たちと一緒に長期投資の運用会社を立ち上げようとしていました。1万円、2万円、3万円など少額をじっくりと毎月、長期的に積み立てる投資を日本全国の世帯に広めたいという想いがありました。この「滴」が寄り集まれば、確かに私の友人が指摘してくれたように、長期投資の「大河」になるイメージと確かにシンクロしています。

 そして、自分が運用会社の設立へとつながった「滴」は、子供でした。
20年前は子供ができて家族が増え、私生活でもちょうど変化の時を迎えていました。当時、赤ん坊の長男を抱きながらふと思いました。「この子が成人になる頃、自分は還暦になっているんだ」と。40歳の自分は、自身の還暦の姿や生活を思い描けませんでした。

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