こうした場面から私が感じたことは、フィンランドの教育は、日本の教育のような「知識を詰め込む教育」ではなく、「学び続けられるための能力を身につける教育」という特徴です。

 日本の一般的な教育は、主に教師が中心となって授業で「生徒に知識を伝えていく」ような教育です。
 
 しかし、インターネットやAIが発達した現代社会においては、「知識」はすぐに陳腐化されます。したがって「知識を詰め込み、重視」する教育は、これからの社会では通用しなくなることでしょう。

 知識をただひたすら詰め込むよりも、自分の頭で考えて、新たな発想や革新的な発見を生み出していくことが必要になってきます。
 
 このためには、ただ単に教師が生徒に知識を伝えて、生徒が受け身で学んでいくだけでなく、その知識を受けて生徒が自ら創造的なものを生み出すような姿勢がとても重要なのです。

■「学ぶことの喜び」こそ重要

 私たちは脳の「統計学習」によって、次に何がどのくらいの確率で起こるのかを無意識に予測しています 。

 これにより、社会環境の中で危険を適切に察知しながら安心して生きていけるようになっています。また、その予測の不確実性を下げることは、脳の情報処理の効率を上げることにもなります。
 
 身構えるべき情報にだけ脳のエネルギーを使い、すべての情報に注意を払わなくてもよくなるので無駄なエネルギーを使わないですむようになるのです。
 
 そのため、脳は「不確実性を下げる」ことから喜び・報酬をえられるようになっています。

 その一方で、脳は不確実性が下がりきった(すべてを理解しきった)情報に対しては、もはや興味を示さなくなります。
 
 なぜなら、すでに不確実性が下がりきった情報からは、それ以上喜び・報酬をえることができないからです。

 ここで起こる現象は、脳の「飽き」です。脳は理解しきった情報を「つまらない」と感じてしまい、他に何か面白そうなことはないかと、あえて不確実(不確か・あやふや)な情報に興味をもつようになります。

 新しい不確かであやふやな情報は、得体が知れず不安ではありますが、不確実性が下がりきった情報よりは、今後多くの喜び・報酬が期待できるからです。

 脳は、不確実性の高い情報に喜び(報酬)を覚えます。

 これが興味や知的好奇心であり、内発的意欲ともいいます。

 学び続けるためには、この内発的意欲(興味や知的好奇心)を知らなければいけません。

 興味や知的好奇心といった学ぶことの喜びを知るからこそ、学び続けられるものです。

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