あるいは、そもそも人生のゴールに、マイホーム保有を設定しない若年層も増えています。以前から自動車を欲しがらない若者が増えていることは話題になっていました。維持費、管理費がかかるマイカーよりも、シェアカーで十分じゃないかと。見栄と欲から解放された若者は合理的に考えるものです。そのマインドがさらに進み、マイホームも特別に欲しくない、という人々が増えています。
「むしろ一生賃貸のほうが自由でいい」「家族ぐるみでシェアハウスでいい」「住むところを決めたくない」など、多様な選択肢が定着しているのです。
「一生この土地にいるつもりはない」という人々が多数派になったとき、地域コミュニティの維持は難しくなります。「ここに住むのは一過性だから」「いつまで住むのかわからない」人々は、腰を据えて地域の寄り合いやボランティア、福祉協議会などには積極的に参加しません。結果的に、祭りなどを執り行うのは「昔から住む高齢者ばかり」という事態にどこの自治体も陥っています。
その反面、地域でのトラブルは増加しています。従来の自治体では、住民同士の困りごとは近所付き合いの中で解決してきたものですが、いまや一足飛びに区役所や町役場などにクレームが押し寄せるのです。地域社会の困りごとは自治体が責任をもって解決するのが当然、という意識が強まっているのでしょう。
このように「住宅すごろく」ゲームが成り立たなくなった地域コミュニティでは、従来型の「地元意識」と、新しい移住者の「コミュニティ意識の希薄さ」の間に大きな溝が発生しています。
■富裕層の脱出と貧困層の滞留
従来型地域コミュニティのもう一つの特徴として、かつては多様な層の人が、同じ土地に暮らしていたという点が挙げられるでしょう。女性も男性も、子どもも若者も、高齢者も一つの地域内にいた。比較的裕福な家も、貧しい家も、健康な人もそうでない人も、皆が一定のエリアに暮らしていたわけです。当然、裕福な家が立ち並ぶエリアもあれば、貧しい長屋が続く地区も昔からありましたが、より広い範囲で考えれば、雑多な人々がその地域全体を構成していたといえるでしょう。