石井一久新監督の下で首位をキープしていた楽天だが、交流戦最後の阪神戦で同一カード3連敗を喫すると、リーグ戦再開後のオリックス戦も3連敗で首位の座を明け渡した。投打がなかなかかみ合わない中、本来は1軍で戦力にならなければいけないこの男の名前もすっかり聞かれなくなった。
【写真】“驚くほど美しい妻”と米で話題になったマー君の奥様はこちら(他7枚)
15年ドラフト1位のオコエ瑠偉だ。
「オコエは現在ケガのリハビリ中です。2月の春季キャンプに不参加で左手関節TFCC縫合術を受けて試合復帰まで4カ月はかかると聞いているので、患部の回復が順調にいけばそろそろ2軍で実戦出場できると思います。ただ置かれた状況を考えると、のんびりしていられない。若手も出てきているし、目に見える結果が求められるでしょう」(スポーツ紙楽天担当記者)
オコエの名前が全国区になったのは関東一高の3年夏だった。100周年の記念大会で、初戦・高岡商戦で49年ぶりとなる1イニング2本の三塁打をマーク。3回戦の中京大中京戦では初回満塁のピンチで背後の大飛球に快足を飛ばし、好捕する超ファインプレーでチームを救う。準々決勝の興南戦では同点の9回2死二塁で真ん中低めの難しい球をすくい上げて左翼に運ぶ決勝2ラン。走攻守で躍動し、プロのスカウトをうならせた。
「3年の春までは高校通算19本塁打だったんですが、その後に打撃でコツをつかんだのでしょう。一気に量産して37本塁打と伸ばした。粗削りなイメージが強く、3年に入るまではドラフトの下位指名か育成枠と予想されていましたが、3年夏の活躍で一気に株が上がった。足が速くてパワーもある。外野の守備範囲も広い。スケールの大きいプレーでプロ入りしてどんな選手になるか楽しみでした」(当時アマチュア野球の担当記者)
楽天にドラフト1位で入団し、1年目の16年は開幕1軍入りし、51試合出場で打率,185、1本塁打。2年目の17年は故障もあり41試合出場にとどまったが、打率.300、3本塁打と好成績をマークする。レギュラーに定着するかと思われたが、その後は度重なる故障で停滞する。3年目の18年は44試合出場で打率.198、2本塁打。19年も52試合出場で打率.182、3本塁打と振るわない。メディアで話題になるのは、約2000万円のスポーツカーを購入したり、約1500万円のイタリア車を購入したことなどグラウンド外の話題ばかりだ。