林:ええ、ええ。

田原:野球見たいのに歌番組とか見てて、「ジュリー!」とか「ひろみ~!」とかワーキャー騒いでるから、「俺、この中に入って暴れたら、山梨の田原俊彦じゃなくて、日本の田原俊彦になれるな」って、勘違いでそう思ったんですよ。

林:おー、すごいな。日本全国、何十万人もそう思う人っていたと思うけど、実際にそうなった人は数人しかいないんじゃないかな。東京のレッスンには「あずさ」(特急)で行ったんですか。

田原:行きは「かいじ」(急行)で、帰りは「あずさ」でしたね。レッスンを受けてるジュニアの子たちをジャニーさんが新宿まで連れてきてくれて、新宿駅のホームで「バイバイ」って別れて、僕は「あずさ」に乗って帰るんです。ジャニーさんがチケット買ってくれて。

林:グリーン車?

田原:グリーン車のチケット、買ってくれました。

林:それはスター候補だから?

田原:たぶんそうなんでしょう。アハハハハ。何か感ずるものがあったんじゃないですか。そのぐらい僕にかけてくれたんだと思う。

林:そしたら突然「金八先生」に起用されて、「たのきんトリオ」になって。あれよあれよという間にすごいことになっちゃったわけですよね。自分でもびっくりしたんじゃないですか。

田原:ワーッと盛り上がって、ワーッと騒がれて、わけわかんなかったです。それまではツイスト、サザン、ゴダイゴという3強が音楽シーンを席巻していて、もちろん先輩の(西城)秀樹さん、(野口)五郎さん、(郷)ひろみさんがいて、その上に沢田(研二)さんがいたんだけど、1980年に僕と(松田)聖子ちゃんが出てきて、あそこから今につながったと言ってもいいぐらいですね。

林:あのころの人、今も活躍してるからすごいですよね。聖子ちゃんもひろみさんも。

田原:沢田さんもね。まだコンサートやりまくってるし。

林:黄金時代を築いた人はすごいなと思う。

(構成/本誌・直木詩帆 編集協力/一木俊雄)

田原俊彦(たはら・としひこ)/1961年、神奈川県生まれ、山梨県育ち。79年、ドラマ「3年B組金八先生」(TBS系)でデビュー。共演した近藤真彦、野村義男とともに「たのきんトリオ」と呼ばれ、人気沸騰。80年の歌手デビュー作「哀愁でいと」は75万枚を売り上げ、同年「ハッとして! Good」で日本レコード大賞最優秀新人賞受賞。オリコンチャート1位獲得12回、ベスト10ランクイン38曲。以降、コンスタントにCD発売、コンサート開催と精力的に活動を続け、今月、77作目のシングルで、自身の60歳記念ソングの「HA-HA-HAPPY」をリリースした。

>>【田原俊彦が赤いポルシェでウーバーイーツ!? 還暦でも茶目っ気変わらず】へ続く

週刊朝日  2021年7月2日号より抜粋

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