中森さんは、明菜と百恵の共通点を指摘する。
「どちらも『スター誕生!』をきっかけにデビュー、百恵さんも最初は売り上げ的にはぱっとしなかったところ、『ひと夏の経験』で大人びた背伸びソングを歌うことでイメージチェンジして売れました」
しかし、大きく異なる点があった。
「百恵さんは、明菜さんにとって歌手としてのロールモデルだったと思うんです。結婚して引退、という道を歩けなかったことで、その先の生き方のモデルを失ってしまった。80年代の終わりとともに、彼女の苦労は始まってしまいます。80年代の輝かしい明菜さんと、その後の体調やメンタルを心配されてしまう明菜さん。それが複雑な関係として存在し続けてきたんです」
明菜がデビュー以来92年まで所属したワーナーミュージック・ジャパンからリリースした全シングルのアナログ30枚組ボックス「ANNIVERSARY COMPLETE ANALOG SINGLE COLLECTION 1982-1991」が話題だ。そのボックスセットのブックレットの冒頭に、本誌コラム「アイドルを性(さが)せ!」を連載中のミッツ・マングローブさんが、こんな書き出しの文章を寄せている。
<中森明菜ほど、聴く者・観る者の想像力を掻き立てる歌手を私は知りません。>
ミッツさんと明菜の歌との出会いは、小学校1年生のころ。移動中の車のラジオから流れてきた「少女A」だった。
「私の気質によるものだと思うのですが、はつらつとした健康的な歌手よりも、中森明菜に惹かれたんです。歌い手本人の存在が作家に曲を書かせるようになるというか、『難破船』(87年)以降ぐらいからは、作家陣も引っ張られていった印象があります。『中森明菜』という生き様に、彼女も曲の世界に自分を寄せていってしまう面もあったと思います」
中森明菜という存在について、
「客観視ができないんです」
とミッツさんは言う。
「切り取れないんです、私にとっての中森明菜の魅力や存在を。どういう感情を抱いているのかもよくわからない。だから、連載でも中森明菜のことは書いたことはありません」