元朝日新聞記者 稲垣えみ子
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友人の農家さんに甘え、今年も田植えの手伝い。泥に裸足を突っ込む瞬間、毎年「おおっ」と興奮(写真:本人提供)
友人の農家さんに甘え、今年も田植えの手伝い。泥に裸足を突っ込む瞬間、毎年「おおっ」と興奮(写真:本人提供)

 元朝日新聞記者でアフロヘア-がトレードマークの稲垣えみ子さんが「AERA」で連載する「アフロ画報」をお届けします。50歳を過ぎ、思い切って早期退職。新たな生活へと飛び出した日々に起こる出来事から、人とのふれあい、思い出などをつづります。持ち家購入から売却までの悲喜こもごもを赤裸々に明かす稲垣さん。今回は大損覚悟で自宅売却を決めた心境について語ります。

【写真】稲垣さんは今年も田植えの手伝いを行った

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 というわけで、20代で精一杯背伸びをして老後のためにマンションを買った私は、その老後を目前に、しつこいようだが購入価格の6分の1で売ったのでありました。

 契約の日、コロナ禍のピリピリの中を神戸まで出かけ、買ってくださった方と顔を合わせ調印などしたのは忘れられぬ出来事である。ここまできたらもう悔しさも何もない。ただただ娘を嫁に出す親の心境であった。駅からは遠いし激坂を上らねばたどり着かないが、六甲山の懐で川の音が聞こえる大好きな家。床を国産材のフローリングにして自分なりに精一杯手をかけ愛をかけ暮らしてきた。あの震災もこの家で体験した。まさに我が青春の舞台であった。その家を「きれいで感激しました」「安い値段で申し訳ない」と言ってくださった買い主の方には心底感謝しかない。

 尾崎豊ふうに言えば、家を売ったことは、私なりの「卒業」だったのだと思う。

 なぜ大損覚悟で売ったのか、決意ができたのかと問われれば、それはもう「家がなくても大丈夫」「お金を失っても大丈夫」という確信が持てたからに他ならない。

 長年、老後を、いや人生を生き抜くには家とお金がなきゃどうにもならんと信じてきた。でもきっとそうじゃない。本当に肝心なのは、余分な欲を減らすこと、そして仲間を作ることなんだと今は心から思える。ここに至るまでに、長年勤めた会社を辞め、家電品など必需品と思い込んでいたものもギリギリまで手放し極小の生活を志してきた。結果、私は驚くほど何も失いはしなかった。むしろ得るものが多かった。もう大丈夫だ。私はついに、現代の目に見えぬ支配から卒業したのだ。

 先日「ノマドランド」という映画を見た。遠いアメリカにも私と似たような人がいた。家を捨て家族を捨て、身の回りの物も捨て、車と身一つで放浪することでドン詰まりの老後から脱出しようとする老人の群れよ。私よりはるかにギリギリの生活の中でいよいよ輝く彼らの瞳よ。なんと世界は広いようで狭いのか。こんなところにも仲間がいた。

稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。近著2冊『アフロえみ子の四季の食卓』(マガジンハウス)、『人生はどこでもドア リヨンの14日間』(東洋経済新報社)を刊行

AERA 2021年6月28日号