「昨日まで一緒に過ごしていた同級生たちが、一斉にスーツを着て就職活動を始めたのを見て、相変わらず演劇にのめり込んでいた僕も、さすがに焦りました(笑)。実家は飲食店をやっていましたが、僕が21歳のときに父が他界して。そこから親代わりとして面倒を見てくれていた叔父に、『崇は就職をどうするんだ?』と聞かれて、『役者をやってみたい』と答えたら、『演劇なんてとんでもない』と反対されて」
スーツを着て、企業の合同説明会に向かった。会場に一歩足を踏み入れると、たくさんの企業のブースが並んでいた。世の中にはこんなにいろんな業種があるのかと驚いた。就職氷河期の真っ只中ということもあり、各ブースに大行列ができていて、自分がいかに「企業で働く」ということへの想像力が欠如していたかを思い知らされた。
「『絶対内定』という就職本を大ヒットさせていた杉村太郎さんの講演会で、『君たち、就職活動してるよね? 本当にその企業に入りたいと思ってる? 本気で入りたいなら頑張ってください。でも、もし周りが就活してるからなんとなく、という気持ちでここに来たのだとしたら、企業は採用なんてしてくれないし、仮に採用されたとしても、続かないよ』と言われました。『まさに自分のことだ!』と思った僕は、そこで就活をやめました」
多くの名バイプレーヤーが所属する今の事務所に入ったのは18年前、山中さんが25歳のときだ。出演舞台をたまたま見に来た映画監督の豊島圭介さんから、清水崇監督を紹介され、清水監督の短編映画に主演。その映画がきっかけで、所属につながった。
「でも、事務所に所属したからといって、潤沢に仕事があるわけではない。俳優はそれぞれが個人商店みたいなものです。今でこそ、受ける回数は減りましたが、20代の頃は、オーディションもたくさん受けました」
「俳優で自活できそうだというめどが立ったのはいつですか?」と問うと、少し時間を空けてから、「今もないですかね」と答える。