元朝日新聞記者 稲垣えみ子
元朝日新聞記者 稲垣えみ子
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『ノマド 漂流する高齢労働者たち』は春秋社刊。映画も快作だが原作は傑作。オススメです(写真:本人提供)
『ノマド 漂流する高齢労働者たち』は春秋社刊。映画も快作だが原作は傑作。オススメです(写真:本人提供)

 元朝日新聞記者でアフロヘア-がトレードマーの稲垣えみ子さんが「AERA」で連載する「アフロ画報」をお届けします。50歳を過ぎ、思い切って早期退職。新たな生活へと飛び出した日々に起こる出来事から、人とのふれあい、思い出などをつづります。

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 本年度のアカデミー賞受賞作「ノマドランド」を見て、家を捨て車一つで老後を生き抜く米国の人々に大いに刺激を受けたことは前回、「自宅売却は、現代の『目に見えぬ支配』からの卒業だった」に書いた通りだが、一方で、かの地で生活費を稼ぐ過酷な現実にも色々と考えさせられた。

 車で暮らすとは自由に移動できるということで、繁忙期だけの単純労働を求める大企業のニーズにマッチすることが彼らの生活を支えている。ある意味、持ちつ持たれつ。クリスマスシーズンにはアマゾンの倉庫係、夏休み期間は山のキャンプ場の管理、砂糖用ビーツの収穫期は巨大農場……こう書くと変化があって楽しげにも思えるし、実際、背筋をピンと伸ばし笑顔で肉体労働に取り組む高齢ノマドたちの姿は崇高だ。

 だが大きなシステムは回り始めると容赦がない。誰が悪いわけでもないが中に入れば歯車のようにギリギリまで動き続けることは必須であり、病や怪我など一つ調子が狂えば全ては崩れる。高齢ということは当然そのリスクは高いわけで、つま先立ちで日々を生きるようなヒリヒリした緊張感は、映画以上に原作『ノマド』に詳しい。逆に言えば、彼らにはそこまでのシビアな覚悟があるのだ。つま先立ちでも自分の足で歩けるところまで歩き、力尽きたら倒れるのみ。それこそが自分の望む生き方であり死に方なのだと。そこが素晴らしいし、そして恐ろしくもある。果たして私にはその覚悟があるだろうか。

 一つ確かなのは、家を捨てて生きるとは、社会の中に飛び込んで生きることであり、良いことも悪いことも社会が(すなわち自分たちが)やってきたことのツケを払うことに他ならない。大きいシステムが一人勝ちする社会は、便利で快適で安いサービスを求める彼ら自身が選び取ったもの。でもその恩恵の裏では誰かがツケを払っていて、その誰かが自分になったことを黙々と受け入れる彼らを私は心から尊敬する。でもそれでいいのかとも思う。もっと違う社会だって我らは選べるはず。かくして今日も抵抗の意思を持って、近所の小さな豆腐屋と米屋と酒屋で買い物をする。

稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。近著2冊『アフロえみ子の四季の食卓』(マガジンハウス)、『人生はどこでもドア リヨンの14日間』(東洋経済新報社)を刊行

AERA 2021年7月5日号