■「凶器」としての言葉
いじめが「悪」なのは言うまでもない。ただ、虚飾の混じった演出の要素として語られた小山田さんの「いじめ自慢」は、その後、事実とは食い違う点も明らかになっている。自分は「正義」の側にいるという意識のもと、どれだけ責めても足りないと思い込んだ大衆が、小山田さんに向かって「言葉」という石を投げ続けるのは集団リンチといえないか。そう指摘する太田さんは「言葉は凶器だ」と言う。そこには数多くの失言もし、その都度、「世間」から批判を浴びてきたことで、言葉による加害と被害の両面を体験してきた太田さんの実感がこもる。
「ネットで名前も名乗らずに罵倒するのは単なるノイズで言論ではないと思います。それでも、言霊っていうのはあって、炎上を苦にして死んじゃう人もいるわけでしょ。一回でも『死ね』といった言葉を書き込んだ人は、誰にもバレなかったとしても自分の記憶にその言葉がずっと残り、いずれそのことで苦しむんじゃないかと思います」
自分と異なる考えや意見に対し、面と向かっては決して言えない言葉も吐き出されるネット空間。そこからは断絶しか生まれないようにも感じられる。太田さんはかつて石原慎太郎さんと「日本の教育」をテーマにした番組で口論になった。
「石原さんがちょっと言葉に詰まったり、かすかに照れ笑いを浮かべたりした瞬間もありました。そうすると、強気に断言していても、この人は実は言葉の裏に別の思いも抱えているんじゃないかと想像できます。これは面と向かって話し合ってこそなんですね」
面と向かって話せば、相手に対する感性が研ぎ澄まされる。口論の瞬間も石原さんと太田さんの人間関係は成立していた。こうしたコミュニケーションの機会はどんどん減っているように感じる。
■向田邦子作品のセリフ
あえて言語化しないのも、日本人の表現手段として存在する。太田さんがその手本に据えるのが脚本家の向田邦子さんの作品だ。向田さんが手掛けたドラマ「阿修羅のごとく」は、父親の愛人とその子の存在を知った4姉妹の三女役のいしだあゆみさんが姉たちに電話するシーンから始まる。電話ボックスから電話するいしださんと姉たちの会話に父は登場しない。姉妹の日常会話が延々繰り広げられる中、「会ったときに話すから」と言いながら、電話ボックスのくもりガラスに指で何度も「父」という字をなぞるいしださんが画面に映し出される。太田さんは言う。
「人間の会話ってなかなか本論に進まない、これってリアルじゃないですか。一番大事なことをセリフに盛り込まず、視聴者に核心を伝える技術。この才能に圧倒されるんです」