ジョイマンにはいい意味での「雑魚キャラ感」がある。なめられがちなキャラクターの持ち主である彼らが、なめられることを堂々と受け入れて開き直ってしまえば、怖いものは何もない。
ユルユルのラップとダンスを主体にしたその軽い芸風が、インパクトとポップさを重視する広告案件には絶妙にマッチしていたのだろう。
ジョイマンが出てきた頃、日本のラップやヒップホップはまだそれほどメジャーな文化ではなかった。もちろん熱心な愛好者はいたが、それが世間一般にまで浸透してはいなかった。
その後、ヒップホップは若者文化として定着して、フリースタイルラップが人気になり、『フリースタイルダンジョン』なども話題になった。また、Creepy Nutsのようにバラエティタレントとしても活躍するヒップホップミュージシャンまで出てきた。一般人やアイドルや芸人などのラップの技術も年々上がっている。
そんな中で、ジョイマンが「ラップ」と自称するあのパフォーマンスは、ラップの新解釈(珍解釈?)として評価できる部分もある。ヒップホップ好きの子どもでも韻を踏むこの時代に「運動は大事、板東は英二」「あき竹城、異常」といったジョイマンの超原始的な脚韻は、一周回って新鮮に見えなくもない。
芸風やキャラクターを変えずに、わらにもすがる思いでしがみついたその「わら」が、わらしべ長者のようにビッグビジネスを引っ張ってきた。インターネットの大海原であてもなく「ここにいるよ」とつぶやき続けた彼らは、昔も今もずっとそこにいる。(お笑い評論家・ラリー遠田)