関西在住の筆者の家では、月に一度くらい「たこ焼き」が夕食のメニューになります。こういうと、関西以外の方からは「たこ焼きが夕食っておかしくない?」「たこ焼きは食事じゃないでしょ」とよく言われます。
確かに、「たこ焼き」を食事として食べる習慣は、関西以外ではないと思います。ですが、よく考えてみると、たんぱく質が豊富なタコに小麦粉、そしてキャベツなどの野菜を材料とする「たこ焼き」は、それだけで十分に食事として成り立っていると思うのです。筆者の家ではチーズも入れますので、さらに食事としての要件を満たしているんではないでしょうか。
子どもたちも幼い頃から、自分の分は自分で焼くことが習慣づけられていましたので、幼稚園の時には「返し技」をマスターしていました。
たこ焼きの発祥は、もちろん大阪です。大阪市西成区の「会津屋」というお店が発祥と言われています。
このお店では従来、小麦粉を水で溶いて、刻んだこんにゃくや天かすなどを入れて、たこ焼きのように丸く焼いた「ラジオ焼き」を販売していました。1933年に、「明石焼き」にヒントを得て、こんにゃくの代わりにタコを入れたのが「たこ焼き」の始まりと言われています。
「明石焼き」は、江戸時代から兵庫県の明石近辺で食べられていた、歴史のある食べ物です。
江戸時代、かんざしの人気の装飾のひとつがサンゴでした。ところがサンゴは当時でも非常に高価だったため、明石近辺では硝石や卵白を使って、イミテーションのサンゴが多く作られていました。そして卵白をとった残りの卵黄を捨てるのがもったいないということから、卵黄と明石名物のタコを使った明石焼きが考案されたと言われています。
こうした経緯から、明石の人たちは、明石焼きのことを「玉子焼き」と呼んでいます。
一般的に、たこ焼きや明石焼きにはマダコが使われています。明石のマダコは、明石海峡の激しい潮の流れの中でもまれているので、筋肉が発達しておいしいと言われ、今でも全国有数の水揚げを誇っています。
ちなみに、2010年のサッカーW杯で、ドイツチームの全8試合の勝敗をすべて的中させて一躍有名人(ダコ)になったパウル君もマダコです。
パウル君がどうやって勝敗を予想していたのかはわかりませんが、ドイツと対戦国、どちらかの旗を選ぶ芸をマスターしていたことは確かですよね。