ノンフィクション作家の吉岡忍さん(C)朝日新聞社
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 東京都に4度目の緊急事態宣言が発出されるなか、無観客での開催が決まった東京五輪・パラリンピック。人々が外出自粛を強いられようとも、五輪開催だけはどんな形であれ強行する。どう理屈をつけても矛盾している政権のふるまいを、私たちはどのように理解すればいいのか。前日本ペンクラブ会長で、ノンフィクション作家の吉岡忍さんに聞いた。

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――緊急事態宣言下で無観客という異例のオリンピック開催が迫ってきました。中止や再延期を求める声を無視して、政府は開催を強行しました。

吉岡 菅政権は、どんな形であれ、開催できさえすればいい、とずっと考えてきたと思いますよ。無観客についても、「どうだ、英断だろう」と、菅さんは内心、胸を張っているんじゃないですか。これでオリンピックは開催できた、コロナウイルスの感染拡大は多少あっても、爆発的に増えなかったとなれば、万々歳でしょう。そのうちワクチン効果も表れて、お盆を過ぎるころには風向きも変わる。それで十分なんです、権力にとっては。

――権力、ですか?

吉岡 ウイルスは分け隔てなく世界にまん延したので、われわれはこの間、世界のさまざまな権力を見比べることができた。こんな機会はめったにありません。中国の習近平体制は都市を強制的に封鎖し、感染拡大を抑え込む強権を発揮した。アメリカのトランプ前大統領のように、ポピュリズムの勢いでウイルスを蹴散らそうとして自滅した権力もあった。メルケル首相は“ドイツのお母さん”を演じて、国民に自制と思いやりを説いた。ブラジルやインドのように感染大爆発を起こしたり、台湾やイスラエルのようにITを駆使して抑え込んだ国や地域もあります。

 一般的に権力は首相や大統領などの野心的政治家グループ、中央官僚、軍部や経済界の幹部からなる複合体ですが、比較政治学の手法で各国のコロナ対策を見ていけば、現代の権力の種々相が浮かび上がってくるはずです。そうやって権力を突き放して観察することは、われわれがどういう政治体制を選ぶか、と考える際のだいじな指標になります。

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