――日本の権力はどう映りましたか?

吉岡 う~ん、迫力がなかった(笑)。だけど、日本の権力には“東京2020”という切り札があって、これが他とは違うところです。

 そもそも安倍晋三前首相はモリカケと桜を見る会のスキャンダルで相当なダメージを受けていて、なんとしても「復興の証し」のオリンピックを開催し、その勢いで窮地を切り抜けるつもりだったでしょう。そこにコロナ禍が襲った。“国難”好きの安倍さんには絶好のチャンスだったのに、クルーズ船のウイルス封じ込めに失敗し、不細工なマスク配布で失笑を買い、せっかく打ち上げた「Go Toキャンペーン」も行き詰まって、権力の、とくに官邸官僚の無能を白日の下にさらしてしまった。口ほどでもなかった、ということですね。あげくにオリンピック延期に追い込まれ、とどめを刺された格好です。

 あとを継いだ菅首相は気の毒といえば気の毒、でも、本人がなりたくてなったポジションですから自業自得ですが、緊急事態宣言とまん延防止等重点措置を出したり引っ込めたりするだけで、ずっと腰がふらついている。なすすべもなく、結局、「コロナに打ち勝った証し」のオリンピック開催を命綱にするしかなくなってしまいました。

――オリンピックは政権の切り札や命綱になるんでしょうか?

吉岡 なります。これには前例がありますから。

 1960年、日米安保条約改定の強行採決のとき、時の岸信介首相は何万ものデモに囲まれたなかで、「国会周辺は騒がしいが、銀座や後楽園球場はいつも通りだ。私は声なき声に耳を傾ける」と豪語したことがあります。

 私は田舎の小学生だったから、もちろん現場は知りません。でも、この言葉は、日本の権力者の自信が何に由来しているかを正直に語っています。権力者はその立場にある以上、四方八方から政策批判が飛んでくることは百も承知です。野党からもマスコミからもたたかれる。

 けれど、そんなのは平気なんです。繁華街をぶらついたり、スポーツ観戦に夢中になったりしている声なき声、圧倒的多数の国民大衆は政策のこまかい点になど関心ないし、声を上げて賛同してもくれない代わり、足を引っぱることもない。権力がよって立つ基盤はそこなんだ、と。

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「感動のドラマ」で政権支持率は上がる