今回のオリンピックも中止、それができないのであれば再延期がよい、と私は思っていますが、開催となった以上、これからオリンピックが終わるまでのあいだ、声なき声がどのように権力の側に寄り添い、下支えしていくか、しっかり目に焼きつけておきたいと思っています。
――東京五輪では大手新聞社がオフィシャル・パートナーに名を連ね、批判的な記事との「矛盾」が指摘されました。これについては?
吉岡 スポンサーではないですけど、5月下旬、信濃毎日新聞と西日本新聞が中止を求める社説を出し、つづいてオフィシャル・パートナーの朝日新聞社が同趣旨の主張をしました。当然だろう、と私は思いました。
でも、一部に、スポンサーなのに何だ、朝日は分裂している、なんていう反応があって、私はがっかりしましたね。どうも日本には“全社一丸”とか、“社を挙げて”とか、それがいいんだという固定観念があるんじゃないですか。高品質で均一な製品をつくる製造業には大事な指標ですが、報道部門を持つマスメディアはほとんど唯一、全社一丸になっちゃいけない産業なんですよ。経営部門は利潤を追求するのが仕事ですが、利潤のために報道現場を動かし、伝えるべき事実がゆがめられたら、民主主義が壊れてしまう。
だからヨーロッパでもアメリカでも、マスメディアの経営部門は報道現場に口出ししてはいけない、というルールがある。日本も同じです。放送法が冒頭で「健全な民主主義の発達に資するよう」にと謳い、NHKが経営委員会と現場を厳格に分けているのも、それが理由です。新聞は私企業ですが、道義的にも報道倫理的にも同じ責任を負っている。
大手新聞社がオフィシャル・パートナーに名前を連ねたのは、経営的判断です。経営者が経営判断に基づいて決めるのは自由です。だからといって編集部門がオリンピック開催を批判してはいけない、ということにはなりません。批判すべきだと思ったら、どんどんやればいい。それが健全なマスメディアです。