当時はとんねるずの全盛期。おかやまさんは、次の舞台に立ったとき、堅苦しい内容は無視して、お客さんを笑わせることに徹した。すると見事に、おかやまさんの狙いは的中し、お客さんがどっと笑った。快感だった。

「何がつまらなくて何が面白いのか、それを見分ける嗅覚だけは自信がありました。舞台で笑いを取ったことですっかり気を良くして、その学生劇団に入って、秋と冬に2回舞台に出演して、次の年の4月にはそこの幹事長をやってました(笑)」

 今の温厚な見た目からは想像がつかないが、大学生時代のおかやまさんは、大抵の芸術系サークルの学生がそうであるように、まあまあ尖っていた。最初の劇団とは喧嘩別れし、また別の劇団に潜り込み、「そろそろ学生劇団ではない、ちゃんとした劇団に入りたいな」と思ったときに、鈴木聡さん率いる「ラッパ屋」と出会う。

「まだ売れてないけど売れそうな劇団はないかと。そしたらラッパ屋が劇団員を募集していて、初めて行ったその日にエチュード稽古に参加させられた。就職する気はまったくなかったですね。バイトで食いつないで、ラッパ屋の舞台に出て、客演もして。そしたら、25~26歳のときに、帰ってこいと言われたので、『調理師免許を取るから1年学校に行かせてくれ』と頼んで、専門学校に行きながら芝居を続けた。で、免許を取ったら今度は『少し東京の店で修業させてくれ』とまた頼み込んで、昼間はイタメシ屋の厨房でバイトして、夜は稽古。ずっとそういう生活を続けていました」

 ある日、バイト先に父と叔父がやってきて、「実家の店はどうするんだ?」と詰め寄られた。その日は喧嘩別れをしたが、そうこうしているうちに父が倒れ、生活の拠点を宮城に戻す。そして店の手伝いをしながら、ラッパ屋の舞台があるときだけ上京する生活を2年ほど続けた。

「でも、お袋と店をやると、すぐ揉めるんです。お袋との関係が気まずくなった頃、『東京に帰っていいかな?』って聞いたら『いいよ』って」

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