ゲレーロJr.と激しいタイトル争いを演じているエンゼルスの大谷翔平(写真/gettyimages)
ゲレーロJr.と激しいタイトル争いを演じているエンゼルスの大谷翔平(写真/gettyimages)
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 過去に例のない「投手兼指名打者」の二刀流で勝利投手となった大谷翔平(エンゼルス)と、468フィート(約143メートル)の特大弾で史上最年少MVPに輝いたブラディミール・ゲレーロ・ジュニア(ブルージェイズ)──。2年ぶりに開催されたメジャーリーグのオールスターゲームで大いに注目を浴びた2人が、レギュラーシーズンでも激しい争いを繰り広げている。

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 大谷は2004年に松井秀喜(ヤンキース)が樹立した日本人選手のシーズン最多本塁打記録を早々と塗り替え、前半戦で両リーグトップの33本塁打をマーク。これを追うゲレーロが後半戦最初のゲームで29、30号と連発し、現地時間7月18日(日本時間19日)のダブルヘッダー第2試合で31号と猛追すると、すかさず大谷も34号を放って3本差としている。

 ホームランの数でしのぎを削る2人を見ていると、「あの年」を思い出す。米国生まれの“エリート”と、ドミニカ共和国出身の“叩き上げ”が当時のメジャーリーグ記録を更新するアーチ合戦を繰り広げた1998年である。

 全米中の注目を集めた“主役”の1人は、カリフォルニアで生まれ育ってドラフト1巡目でアスレチックスに迎えられ、ルーキー新記録(当時)の49本塁打を放った「ホームランの申し子」のマーク・マグワイア(98年はカージナルス、開幕時34歳)。もう1人は、少年時代はオレンジ売りや靴磨きで家計を助け、16歳でプロの世界に飛び込むと、カブスで2度の30-30(シーズン30本塁打・30盗塁)を達成するなど、パワーのみならずスピードも売りにしていたサミー・ソーサ(開幕時29歳)だ。

 当時のメジャーリーグは、1994年に起きた長期ストライキによる“後遺症”に悩んでいた。ストでシーズンが打ち切られた年に1試合平均で3万1256人を動員していた観客数は、ストが明けた1995年は2万5021人までダウン。1997年になっても1試合平均で2万7876人と、スト前の水準には程遠かった。

 そんなメジャーリーグに熱気を呼び戻したのが、2人のハイレベルなホームラン争いだった。筋骨隆々とした肉体が生み出すパワーを武器に、バックスイングもほとんど取らずに力強くボールを引っぱたくマグワイアはこの年、オールスターまでになんと37本塁打をマーク(出場80試合)。これは球宴前の、いわゆる前半戦での本塁打数としては、1969年のレジー・ジャクソン(アスレチックス、出場91試合)と並ぶ当時の最多記録であった。

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日米で社会現象に