前年はリーグをまたいで58本塁打を放っていたそのマグワイアよりも、周囲を驚かせたのはむしろソーサのほうだった。それまでは1996年の40本塁打がキャリアハイだったのが、この年は打撃改造の成果か逆方向への一発も増え、6月にメジャー新記録の月間20本塁打と大爆発。マグワイアを猛追し、オールスターまでに33本のアーチを架けた。これもメジャー新記録(当時)の61本塁打を達成した1961年のロジャー・マリス(ヤンキース)のシーズン前半の本数に並ぶものであり、2人に対する37年ぶりの記録更新への期待は、いやが上にも高まっていった。
シーズン終盤を迎え、スポーツのメモラビリアを扱う会社が新記録となる「62号」のボールに100万ドル(当時のレートで約1億3000万円)の値を付けるなど2人に対する注目が一段と高まる中、9月8日にカージナルスの本拠地で行われたカブス戦でマグワイアが62号を放ち、ついに新記録を達成する。ライトを守っていたソーサはこの時、レフトフェンスを越えていく打球を見送ると左胸をトントンと叩き、その指先をマグワイアに向けて“ライバル”への敬意を示した。
ただし、これで決着がついたわけではない。ソーサは9月12日に60本の大台に到達すると、翌13日に61、62号を連発し、新記録達成後は足踏みが続いていたマグワイアをとらえる。15日にマグワイアが63号を放つと、翌日には再びソーサが並び、18日にマグワイアが64号でまた引き離す。一進一退の攻防の末、シーズン最後の3試合で5ホーマーという驚異の固め打ちで70号に到達したマグワイアが66本塁打のソーサを退け、全米を巻き込んだ狂騒曲についにピリオドが打たれた。
この熱気は米国内に留まらず日本にも伝播し、2人の争いはBS放送などで連日のように伝えられ、終盤はスポーツ紙がこぞって一面で取り上げたほどだ。なお、マグワイアの62号の記念球は、フェンスは越えたもののスタンドには届かず、球場係員によって回収されて無事に本人のもとに届けられた。70号のボールはスタンドのファンにキャッチされてオークションにかけられると、アメコミ『スポーン』などの作者として知られるトッド・マクファーレン氏によって、270万ドル(当時のレートで約3億1000万円)で落札されている。