出場辞退の判断をめぐっては多くのところで議論されている。「日本高野連が一律のルールを定めていないから」という声も聞こえる。しかし各県によって感染状況はまったく異なる。学校数や部員数なども違い、各選手によって高校野球そのものへの考え方も異なる。全国すべてを同一のルールで縛ることは現実的ではないだろう。

 とはいえ、現場はとにかく出場したいのが本音。既に今年の地方大会で敗退している高校の監督に今回の問題について聞いたところ以下のような答えが返ってきた。

「感染者、濃厚接触者が離脱してでも出場したいのが本音ではある。甲子園に行けなくとも1つでも多く試合をして、学校名を露出、宣伝する必要がある。少子化で各校とも生徒集めに苦労している中、私学の場合は出場辞退そのものが学校の死活問題にもなる」(茨城県の私立校監督)

「エースで4番の大黒柱がいて、その選手の調子が良ければ勝てる可能性が高い時もある。教育者としては失格かもしれないが、もし彼以外の選手がコロナウイルスに感染した場合、他に選手もいるので出場したいのが正直な気持ち。県立校が甲子園へ行けるチャンスは少ない。可能性があるなら試合を行い、戦って甲子園を目指したい」(神奈川県の公立校監督)

「弱小校の選手は最後の夏、多くの人たちの前でプレーするのを目標にしている場合もある。甲子園出場だけでなく、これも高校野球の1つの形。静岡は声出しはダメだがブラスバンドもスタンド応援に参加できた。打席に立った時に応援歌を歌ってもらえるのは嬉しいこと。初戦敗退だったが子供たちは一生の思い出が作れたはず」(静岡県の私立校監督)

 私立と公立では野球部の存在意義も異なる。かつて高校球界を席巻したPL学園(大阪)は暴力問題の不祥事により休部状態なのを見れば、現実のシビアさがわかる。私立の場合は学校のイメージや知名度をアップする目的が部活動にあり、出場辞退はその機会も失うことも意味する。

 また甲子園の出場可能性がある限り試合をしたいと思うのは純粋な気持ちだ。そしてブラスバンドの応援が一部許可された地区では、最後の夏を楽しんだ球児も少なくなかったはず。コロナ禍の高校野球、離れた場所から見ているだけの人間にはわからない現実もある。

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