“キング”と称されてきた内村の体操人生は、その名にふさわしい輝かしい記録に彩られている。北京五輪で一躍その名を知らしめると、続く12年のロンドン五輪では個人総合金メダル、団体と種目別ゆかで銀メダル。16年リオ五輪では個人総合で金メダル、そして日本体操男子にとって念願だった、アテネ以来の五輪団体金メダルを手にした。ロンドン、リオ五輪では「期待されるほど力を発揮できる」と自負する通りに、ミスのできない場面でこそ実力を発揮。チームを表彰台に導いた。そしてその間、世界選手権では個人総合6連覇の偉業も成し遂げている。
そんな内村にとって、リオ五輪以降の数年はこれまでにない試練の年だった。17年から足首や肩などに故障が相次ぎ、時に痛みに顔をゆがめながら試合に挑む姿も見られた。思うような演技ができず、20年2月には、常々「体操は6種目やってこそ」と話していた自身のこだわりを捨て、種目別鉄棒に専念することを決意した。プライドを捨て、満身創痍で臨んだ東京五輪。それだけに、自身に対する失望の色も濃かった。予選敗退を喫した日、「すごい強いなこいつらって」と後輩の活躍をたたえる一方で、自身について「ああもういらないなって思いました」と切り捨てた。
だが当然のことだが、今回の若手選手の活躍に内村は無関係ではない。内村に続く存在と目される北園は、東京五輪3カ月前に肘を負傷。絶望的な状況で、折れかけた心をつなぎとめたのが内村からの電話だったと回顧している。
橋本は高校時代、尊敬する人として内村の名を挙げている。今回、表彰台で涙ではなく笑顔を浮かべていたことをインタビューで聞かれると「チャンピオンは涙を流さずに常に前だけ見ているっていう姿勢をもっていきたいと思っているので」と答えた。それは、常に堂々と表彰台に上っていた内村の姿をほうふつとさせる。
活躍する選手の世代は確かに移り変わる。だがそこには必ず、新世代に影響を与えた選手たちの存在がある。長崎県の体操教室の少年が、元日本代表・塚原直也の美しい体操に憧れ、いつしか “キング”と呼ばれるまでになったように。
内村は今後の進退に関して具体的には明言していない。だがどんな道を選ぶにせよ、彼が後進の選手たちに影響を与える存在であることは間違いない。(ライター・横田泉)