落語家・春風亭一之輔氏が週刊朝日で連載中のコラム「ああ、それ私よく知ってます。」。今週のお題は「無観客」。
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五輪もほとんどの競技が『無観客』で行われているであろう今日この頃。皆さん、いかがお過ごしですか? これを書いてるのはまだ開幕前。感染者も増えて、バブル方式の囲い込みも穴だらけ。まさか急転直下で開催中止ってことはないでしょうが、これ以上傷口が広がらないよう大会の無事を祈りますか。
梅雨明け間近の平日の昼。稽古しながら上野は不忍池辺りを歩いているとカバンに入れていたスマホが震え出しました。落語協会事務所から寄席の代演依頼。池のほとりのベンチに腰を掛けて手帳を開き、NGを告げ電話を切ると、向かいの木陰にホームレスと思しきおじさんが座り込んでいました。年季の入った長髪と日焼けした顔色で正直若いのか、年寄りなのかも判断出来ないかんじです。
酔っ払ってるのか、暑さでへたってるのか虚(うつ)ろな目でダラリとした様子。崩れた体育座りのまま、顔だけは空を見上げています。両手がやけに動いているので、目を凝らして見ると、長さ30センチくらいの2本の棒を持ってベンチを叩き続けている。
カタカタカタカタ、カタッタ、カタタン、タンタタ、タタンタ、カタカタカタン♪
音は微かに聴こえるくらいですが、棒の動きのリズム感、抜群。「ドラマー?(笑)」と思い、悟られないように少ーし近づいて横目でチラ見すると、2本の棒は間違いなくドラムスティックでした。「ドラマー!(驚)」と思いつつ、立ったまま一観客として凝視する雰囲気ではありません。何事も無いように、もと居たベンチに座り直し、耳をそばだてます。
高速のスティックさばきから、スローテンポのブルージーな曲調(ドラムのみだけど)にシフトしました。
ドラマーは頭を傾け、目を閉じたまま。行き交う人は見向きもしない。蓮の合間を縫うように泳ぐ鴨の羽音や、遠くの車のクラクションやエンジン音も聴こえます。しかし不忍池界隈の喧騒に時折挟まるわずかな静寂に被せていくように、ドラマーは地べたや木の根や幹を叩き続けます。聴いているのは私だけ。気づいているのは私だけ。