下重暁子・作家
下重暁子・作家
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 人間としてのあり方や生き方を問いかけてきた作家・下重暁子氏の連載「ときめきは前ぶれもなく」。今回は、「新しく学ぶことの喜び」。

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 コロナで延期や中止になっていた講演会が十月、十一月になってどっと押し寄せてきた。新潟県の上越市や香川県の高松市などの地方を含めて、二、三年ぶりである。

 以前は新幹線や飛行機に乗って、泊まりがけで出かけた。テーマが決まれば一時間半ほど話す内容ができた。それほど苦労なく……。

 それが今までになく緊張する。言葉の出てくるままに話すのではなく、準備しないと不安になる。こんなことは今までなかった。

 困ったな! 参考になりそうな本を漁り、考えをまとめていく。なかなか思うように進まない。以前のように、楽しみながら出たとこ勝負というわけにはいかなそうだ。

 今回は、個人と仏教という専門分野であったり、菊池寛という個人について話さねばならない。

 前もっての勉強を怠りなくしておかねば……。私はテーマが決まると、頭の中で話の順番を箇条書きに整理したら、本番では何も持たず原稿などなし。原稿があると、それにとらわれて自由に話せなくなる。書き言葉と話し言葉は違うのだ。

 話し言葉では“今”が大切になる。今思いついた言葉で話さねば、いかに精選された言葉であろうと死んだ言葉になってしまう。

 勢いに乗って話してこそ共感を呼ぶのだが、そのコツをしばらくやらないうちに忘れてしまった。

 私だけではなく、他の方々も同じだということがわかった。五木寛之さんのコラムで、しばらくぶりの講演に臨む際の気持ちが描かれていたが、似ている。軽井沢の高原文庫で、浅田次郎さんがドナルド・キーンさんについて講演されたときも同じことを感じた。

 やり馴れたことで二、三年のブランクは大きい。しかしその分、新鮮な気持ちがあった。何でも初めてのように、新人に戻ったつもりで努力すべきだ。私の話も、どこか手垢がついて馴れていたのでは?と大いに反省させられた。

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