私自身ができることとして、SNSや番組でも不透明さや異質性に疑問を投げかけてきました。ただ、一つひとつは瞬間風速的に盛り上がるのに、すぐ風化するのが現状です。点は点のままで、線としてつながることはない。SNS時代的ともいえますが、本来はすべての問題が地続きで、一回一回風化させてはいけないことだと思うんです。
五輪期間に入った後は、ハッピーに五輪を楽しみたいという空気も強まりました。特に、日本ないしは私たちの世代は、何かに怒ることや異を唱えることはよくないものだという教育がなされてきたのだと感じることも多いです。自意識が生まれたときから身近にスマホがあり、声を上げなくてもある程度は満たされてしまう。成熟社会に生まれた世代にとっては、自分たちで社会をつくっていく感覚が持ちづらいのだと思います。
ただ、イエスかノーかの二項対立で考えることが良いとは思いません。物事には複数性があり、競技や選手に対する気持ちと五輪の構造に抱く感情は別のレイヤーです。「五輪のこの部分は良い、または問題だと思うけれど、総論としてはこうじゃないか」というコミュニケーションができる社会にアップデートしていかなければと考えています。
(構成/編集部・福井しほ)
※AERA 2021年8月16日-8月23日合併号