東京五輪は、日本の抱える様々な問題が浮き彫りにした。クリエーティブディレクターの辻愛沙子さんは、五輪への落胆や、開催を契機として社会をアップデートする必要性を指摘する。AERA 2021年8月16日-8月23日合併号から。
* * *
ヒップホップ界には、まだ知られていない若い才能を有名な人が引き上げる「フックアップ」という文化があります。一方で、日本のクリエーティブ業界は比較的年功序列な環境。業界のレジェンドと才能ある若手が上下関係なくフラットにタッグを組んでプロジェクトを進める、というようなことはあまり起こりません。少子高齢化に加えて年功序列な文化が根強い日本で、予算も権威もある五輪だからこそ、未来へのメッセージとして、才能ある若手のフックアップを期待していました。ところが、競技場のデザインや開閉会式で名前が挙がったのは業界のレジェンドばかり。舞台に上がらせてもらえるのは上の世代だけで、楽しむ観客は若手という構図は変わりませんでした。もちろん、やみくもにフックアップすればいいわけではありません。なぜその人が適任で、そこにどんなメッセージ性があるのか、意志を持って光を当てることが何より大事だと思います。それがないから問題が起きても説明できない。ブラックボックスの中で人選しても権威から権威への力の譲渡になり、同質性のジレンマからは抜け出せない。森喜朗さんの女性蔑視発言や小山田圭吾さんらの騒動もこの同質性に起因していたのではと思います。
何かを成し遂げる過程では、課題や問題が起こりうることは常だと思います。完璧なものなんてほとんどない。五輪という大きなプロジェクトなら、なおさらです。間違いを修正しながら完成に近づけていくのは悪いことではありません。問題から目をそらさずに少しずつ調整し、公的なものは説明責任を果たしていくことが重要です。なのに五輪では、何一つ透明性のある説明はなされず、そのたび悲しさと苛立ちを繰り返しました。