思わず大声で怒鳴りつけ、持っていた書類ケースを母の肩先に叩きつけた。それはケガを負わせるほどの大袈裟なものではなかったが、その拍子に彼女はふらふらっとよろけた。

 その姿を見て、わたしははっと我に返った。

 まずい、このままでは本当に母親に手を上げてしまう。一旦本気で暴力を振るい始めたら、その勢いを止める自信がなかった。

(もしかしたら、母親を殺してしまうかもしれない……)

 死んでくれ、と思ったことは何十回もあるが、本気で手にかけようとしたことはなかった。

 それがいままさに紙一重のところにあると気づいたら、背筋がぞっとした。

 昔々、幼少期に母から叩かれていたことを思い出す。竹の定規で、布団叩きで、時には平手で顔を叩かれた。

 理由はいつも他愛ない。わたしが母の思いどおりの行動を取らなかった、それだけのことだ。

 投げつけられた灰皿で額から血を流したこと、タバコの火を目の前にちらつかされた日のこと、飲み物に下剤を入れられたこと……たくさんの悪い思い出が一気に脳の記憶の引き出しからあふれ出して止まらない。

 あぁ、きっとあの頃の母も一旦上げた手が止まらなくなっていたんだな。思ったようにならない我が娘に対して感情が制御不能になって、言葉にはかえられない苛立ちを爆発させていたんだろうな。

 少しだけわかった気がした。

 と同時に、わたしにも同じ血が流れていると直感した。

 暴力も依存症のひとつ、世代を超えて繰り返されることはよく知られているのだ。

 このままでは危ない。本当に彼女を殺めてしまうかもしれない。なんとかしてこの負の感情を抑え込まなければ……どうしよう、どうしよう。

 そうか、それならそこに彼女がいないものとして過ごそう。なにをされてもなにを言われても、徹底的にその存在を無視してしまおう。

 これがわたしの結論だった。残酷だと言われようと、当時はそれしかないと思った。いまでもほかに手段が思い浮かばない。もしももっと良策があったのであれば、正しい方法があったのならば誰か教えてほしい。

 ともかくこの日から、わたしは心のなかで母の存在を殺した。

 母を捨てたのだ。

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