「今から50年近く前の話になると思いますけど、当時、野球選手で当時一番稼いでいたのが巨人の長嶋茂雄さんと王貞治さんやったんです。当時の年俸で5000万円ほど。その新聞を見た仁鶴がポツリと言わはったんです。『野球選手は安いなぁ』」
吉本興業の笑いの殿堂・なんばグランド花月の通常興行では当然トリをとることが多く、小咄をテンポよく畳みかけ爆笑の波を起こす。そして最後まで演じ切ると、その爆笑がまるで聞こえていないかのように事も無げに舞台袖に歩いていく。
無論、そこで何か言葉を発するわけではないのですが、そこには「踏んできた修羅場の数が違う」という矜持、迫力、自信があふれ、その度に、何とも言えない背中がピシッとするある種の怖さを感じてもいました。数えきれないほど仁鶴さんの高座を見てきましたが、毎度毎度、爆笑からのその感覚を感じていました。
また、年齢を重ねてからも新ネタに挑むなど芸人として常に歩みを進めていたことでも知られますが、その根底にあるのは硬化しないみずみずしい感覚だったと思います。
現在、テレビ朝日「ザワつく!金曜日」などで井上小公造として活躍する市川義一さんと和田ちゃんの男女コンビ「女と男」。もともとコンビ名は「男と女」でした。それを「女と男」に変えた方がいいとアドバイスしたのは仁鶴さんでした。
「『これからは女性がより一層活躍する時代になるし、男よりも女を先にした方がいいと思う』という言葉をいただいたんです」(市川)
ジェンダーへの意識が高まる昨今ですが、そのずっと前から今につながるバランス感覚を当時71歳の仁鶴さんが持っていた。ここにも“目に見えないものを敏感に察知する”芸人としての資質が表れていた気がしてなりません。
今の繁栄を築いたと言っても過言ではない精神的支柱を吉本興業は失いました。それは間違いありません。
しかし、お弟子さんをはじめ、あらゆる後輩芸人さんにイズムは受け継がれています。芸の中には仁鶴さんは生き続けている。それもまた間違いありません。(中西正男)