浜矩子/経済学者、同志社大学大学院教授
浜矩子/経済学者、同志社大学大学院教授
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 経済学者で同志社大学大学院教授の浜矩子さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、経済学的視点で切り込みます。

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 近頃、何かとバブルという言葉を目にし、耳にする。エコノミストである筆者にとって、バブルは経済の過剰膨張がもたらすものだ。このバブルは怖い。必ず恐慌を呼び込む。

 だが、近頃はやりのバブルは別物だ。「バブル方式」のことである。パンデミック荒れ狂う中で、オリンピックとパラリンピックを強行するにあたって、採用された感染症対策だ。競技の開催エリアを泡で包むように囲い込み、外部の世界と遮断するというやり方だ。これで、感染拡大徹底防止を実現するのだという。その通りになったかどうかを巡って、疑念が湧き出している。

 こうした状況の中で、自民党総裁選の日程が決まった。今は何事もなかったように、そんなことをしている場合か。野党から、そして与党内からも、疑問と非難の声が上がっている。ごもっともだ。この非日常の中で恒例通りに事を運ぼうとしている連中は、日本列島が広範に及ぶ緊急事態宣言やまん延防止等重点措置の発出下にあることを忘れ去ってしまっているのか。

 ひょっとすると、彼らこそ、バブル方式の下に身をおいているのかもしれない。そう思えてきた。自分たちと現実を遮断する泡に包み込まれて、ぬくぬくしている。泡の外でどんな怒りや嘆きや呻(うめ)きが上がっていようと、どんな糾弾の叫びが上がっていようと、専門家たちがどんな警告を発していようと。それらのいずれも、泡の中深く引きこもる彼らの耳には決して届かない。

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