「お嬢様学校なんだけど、私たちは文化祭の後夜祭での舞台づくりとか、無駄に頑張っちゃうアツい学年で。言い出しっぺと熱源は、いつも栗栖でしたね。彼女は生徒会長とバスケ部のキャプテンも兼任していて、目立っていたし。情熱と巻き込む力と説得力は、当時から全然変わってない」

 高校1年の冬、栗栖がテレビで目にした、リレハンメル冬季五輪の開会式。数千人の市民が多彩な衣装に身を包み、障害のある人もない人も、子どももお年寄りも一つになり平和を願う演目を披露していた。「国際平和」と「舞台芸術」に強い関心を抱く栗栖だけに、表現がピッタリきた。

「私が創りたい舞台は、これだ!」

<夢>は定まったが、進路はどこにも用意されていない。手始めに美術大学に進学し、分野横断的にあらゆる表現に関われそうな「アートマネジメント」を専攻した。

 何千人もの市民が出演する、五輪クラスのショーの演出は、マクロ的な視点で「仕組みからデザインする」必要があると考えた。そこで、28歳の時に、イタリアにある大学院大学「ドムスアカデミー」へ留学。ビジネスデザインを専攻した。意外なのだが、栗栖はイタリアに留学して、初めて自分に自信が持てるようになったと打ち明ける。

「日本って、人と違う表現は、駄目扱いでしょ? 私は絵の個人レッスンを受け、ものづくりが大好きだったのに、美術の成績は常に悪かった。大学の時に演劇を始めたら、『あなたの表現は、演劇じゃない』なんて言われたこともあって……。むしろイタリアだと、『どこにもないことを表現する君は、創意工夫に優れていて素晴らしい!』と評価された。これは人生上、大きな収穫でした」

(文・古川雅子)

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